2021年7月24日研究発表例会 発表報告

一九八〇年代の「現代思想」ブームと宗教について

 

松野智章 客員研究員 

 1980年代の「現代思想」ブームに注目したい。具体的には当時の現代思想が宗教を肯定したかのように見えるミスリードを問題とする。だが、現代思想に携わった80年代の思想家たちが、安易に宗教を肯定したと断じるわけではない。そうではなく、難解な現代思想が流行となったことで、ミスリードが生じたのである。本発表ではミスリードを生じさせた現代思想がどのようなものであったのかを確認したい。

 1970-80年代を牽引したフランス現代思想は、マルクス主義という社会思想の問題点を指摘したにとどまらず、マルクスの哲学的背景であるヘーゲルの哲学を射程に入れていた。ヘーゲル哲学こそが近代そのものであり、その近代の基盤の正体は「理性」であった。その「理性」を自らの手で相対化する試みがデリダの脱構築である。したがって、西洋哲学を相対化する試みである。ところが、デリダの西洋批判は日本において単純化され、西洋の否定・東洋の肯定という安易な思考の道を開いた結果となった。

ミスリードを誘発した原因の一つに現代思想が「外部」を志向したことにある。先駆的仕事である蓮見重彦『表層批判宣言』(1979年)は「文学こそ制度である」と言語化される以前の意識の深層を外部と想定した。また、中沢新一『雪片曲線論』(1985年)は外部との接続に宗教的体験を取り上げ、内部の限界を示しつつ外部を浮き上がらせるというメタファーを多用した。

また、当時の相対主義の議論も無視できない。80年代は文化相対主義や概念相対主義の考え方が主流であった。サピア=ウォーフ仮説も言語ゲーム理論も言語の観点から語られた。橋爪大三郎『言語ゲームと社会理論』(1985年)の言語ゲーム理解ではモダンもポストモダンもそれぞれ言語ゲームであり、それらを基礎づける包括的な価値基準は存在しない。そして、その文脈において、宗教もまた言語ゲームの一つに数えられる。ただし、相対主義から生じた多様性の肯定はオウム真理教を含めた反社会的な宗教も社会に温存させてしまうという理論上の問題を生じさせたのである。

 外部内部の議論も含めて80年代の思想の特徴を一言で述べるならば「相対化」ということになるだろう。そして、当時の主張の多くが今日では常識と化している。だが、「相対化」自体は何か価値を表明する思想ではない。ゆえに、現代思想は決して生きる指針を読者に与えるものでもなかった。あくまでも「そうである必要はない」という主張である。しかし、「どうすべきか」という問いかけのない思想にさらされた一般の読者、特に当時の若い読者には、東洋神秘主義や伝統や保守主義が、実は安易な逃げ場所になっていったと思われる。

 

 

『大秘密真言隨持経十万註』における2種の『大護明陀羅尼』について
―疾病消除説話との比較を中心に―

園田沙弥佳 客員研究員 

 本発表では主に『大秘密真言随持経十萬註』(以下MN十萬註)の内容構成を中心に取り上げ、2種の『大護明陀羅尼』とヴァイシャーリー疫病消除説話(『根本説一切有部律』「薬事」、『ヴァイシャーリー・プラヴェーシャ』)を相互に比較検討し、関連性およびその特色について考察した。

 『大護明陀羅尼』とはインド密教における五護陀羅尼に属する経典である。五護陀羅尼に含まれる5種の経典名は特定されている一方、一部の経典の内容はテキストによって大きく異なることから2つの系統に大別される。そのため、本経典は五護陀羅尼の構成を区別するうえで重要な経典の一つであるといえる。

 サンスクリット・テキスト系統の『大護明陀羅尼』(以下MN-A本)の内容は、「薬事」、『ヴァイシャーリー・プラヴェーシャ』と類似することが先行研究で指摘されている。いずれも世尊がヴァイシャーリーの疫病を退ける説話が説かれている。他方、チベット語訳系統の『大護明陀羅尼』(以下MN-B本)はMN-A本の内容と一致しない。経題の一部もサンスクリット・テキストとチベット語訳で相違があるものの、両者は先行研究において『大護明陀羅尼』と見なされている。

 『大護明陀羅尼』の注釈書であるMN十萬註は、現在チベット大蔵経において確認される本注釈書は9つの章で構成され、その注釈対象はMN-B本の経文のみならず、チベット大蔵経で『大護明陀羅尼』として収録されていないMN-A本も含む。MN十萬註の内容構成は、第12章、第9章にMN-A本の内容、第38章にMN-B本と同様の内容が引用され注釈対象となっている。なお、第2章と第9章の章名には『ヴァイシャーリー・プラヴェーシャ』の経題が含まれており、本経典との関連性が見受けられる。

 MN十萬註と各経典を比較した際の相違点は、世尊がヴァイシャーリーに向かう直前に滞在していた場所があげられる。MN十萬註第1章と『ヴァイシャーリー・プラヴェーシャ』では共通して「葦の中の紛乱した家(ナーディカー村のクンジカ堂)」とある。また、「薬事」でも「ナーディカーのクンジカ・アーヴァサタ(クンジカ堂)」と示される。一方でMN-A本は詳細な地名に関しては写本によって相違はあるものの主にラージャグリハに住していたことが示され、注釈書等の記述と異なっている。

 以上のように、今回取り上げたMN十萬註の内容は『大護明陀羅尼』よりも、むしろ、「薬事」や『ヴァイシャーリー・プラヴェーシャ』の記述と近しい例が見られる。MN十萬註が制作された頃の『大護明陀羅尼』の内容は、『根本説一切有部律』や『ヴァイシャーリー・プラヴェーシャ』の影響を受けていたことが推察されるほか、これまで確認されている『大護明陀羅尼』以外の経典が当時存在していた可能性も考えられる。同様のことは昨年度発表した『大寒林陀羅尼』にも生じており、今後の写本研究で精査したい。

 

 


自力聖道門における本願観

                                                                                  水谷香奈 客員研究員 

 「本願による衆生救済」といえば、最も有名なものは阿弥陀仏の四十八願に基づく極楽往生であることは言を待たないが、元来、本願に代表されるような誓願の力によって衆生を救済するのは、諸仏のみならず菩薩にも見られる行動である。この誓願の力を強調して、末法という時期を踏まえた上で、本願力による浄土往生というかたちでの衆生救済を説くのがいわゆる他力浄土門だが、仏教の根本目的である成仏に至るために、諸仏や菩薩の本願の力が大きな役割を果たすことがある、という思想は自力聖道門においても見られる。

 たとえば、『法華経』譬喩品第三では、釈尊が舍利弗に対して授記を与え、はるか未来に華光如来という名の仏陀になることを予言するが、そこで華光如来の説法は本願によるという文章が出てくる。これについて、梁代の法雲(467-529年)、隋代の吉蔵(549-623年)、唐代の基(窺基:632-682年)らがそれぞれ論疏において独自の解釈を施していることを紹介した。特に、吉蔵は同じ三乗についての説法でも、釈尊は衆生の機根に合わせ、華光如来は本願に基づいて行うと解釈したが、基はいずれの如来であれ必ず本願に基づいて説法していると述べている。その背景には、唯識思想に基づいた説法・聞法の構造がある。

 『仏地経論』によれば、インドの唯識派では大きく二つの説が提唱され、龍軍・無性らは如来の本願力が衆生の識に作用して経典の言葉を認識させるとし、護法・親光らは如来の本願力は如来自身の識に作用して、文義の相を生じさせるとした。いずれにせよ法を説くという行為が本願に基づいたものであり、衆生は自身の識を用いてそれを認識していることを示している。しかも、『仏地経論』によれば、聞法は根本的には自身の善根の力で文と義を識上に変現させるものだが、仏陀の本願力が「強縁」であるために、仏説と呼ぶのだとしている。衆生の側でいかに善根を蓄えて機根が熟し、聞法の準備が整ったとしても、仏陀が大悲の本願によって法を説こうとしなければ、法に触れて救済されることはかなわないことを唯識的に表現した箇所であると言えよう。これは、聖道門であっても修行者の自力だけで悟りに至れるわけではないことを示しており、その意味では、他力に対する重要度の比重が異なるだけで、聖道門と浄土門における本願観には根底的に共通性が見られると言える。