14

環境生理学・循環生理学のアプローチで 脳血流の調節機構を明らかにする

理工学部小河 繁彦教授

血圧は人間の健康の重要な指標とされている。その理由は、血圧と血流が深く関連していることにある。生物の身体では、生命を維持するために様々な臓器が働いているが、そのためのエネルギーは臓器自身が作り出している。そのエネルギーのもととなる酸素や栄養素を臓器に供給しているのが血流だ。その循環がうまくいかないと臓器の機能が維持されず、生命の危機を招くことになる。しかし、血液の循環をコントロールするシステムは非常に複雑であり、解明されていな部分も多い。理工学部生体医工学科の小河繁彦教授は、血液循環の中でも、重要な役割を果たす脳に注目して研究を行っている。

疲労困憊状態を作り出すのは
脳か、筋肉か

「人間の血流は一定に保たれているわけではなく、身体の変化や環境の変化に応じて必要な場所に効率良く酸素や栄養素を届けるために刻々と変化しています。例えば、運動をすると筋肉が多くのエネルギーを消費するため、心臓が拍動を上げて筋肉に通常の6〜8倍という多量の血液を送り込みます。それにより激しい運動を継続できるのです。この血流を配分するシステムを担っている1つに自律神経活動があり、これは人間の循環応答において重要な要因です。しかし、血流の調節機構は複雑で、1つのレギュレーターが司っているのではなく、複数のシステムが関連し合って成り立っているため自律神経活動だけですべての循環応答を説明できません。また、身体の各部位と脳とで調節機構が異なる可能性もあります。そこで私は、人間が生きていくうえで最も重要な臓器であり、血流調節の司令塔でもる脳に注目しました。脳もまた正常に機能するためには、安定した血流を確保しなくてはなりません。しかし、それがどのような仕組みで維持されているのか、まだよくわかっていないのです」
脳への血流が滞ると、どのようなことが起きるのか。極端なケースが、脳の血管が詰まることで起きる脳梗塞だ。最悪の場合、命を落とすし、助かっても重い障害が残ることもある。また、長時間立ち続けていると重力により血液が静脈に溜まって、脳に十分な血液が行き渡らなくなることで失神するケースもある。そうならないように、正常な脳は血流を一定に保とうとしているのだが、その調節機構はまだ解明されていないのだ。
「脳の血流の調節機構を調べるため、ある実験を行いました。運動が継続できなくなるほどの疲労困憊状態を作り出し、脳と筋肉のどちらが疲労を感じ、血流量に影響を与えているか確かめたのです。被験者の1人は普通に自転車をこぎ、もう1人はβブロッカーという心臓の筋収縮を抑制する薬を投与した状態で自転車をこぎます。後者は心拍数と血圧が上がらないため、筋肉が疲労しきる前に短時間で疲労困憊状態になります。そして両者が疲労困憊した時の脳血流を測ってみた結果、普通に自転車をこいだ人は脳血流が上がっているのに対して、βブロッカーを投与した人では脳血流が十分な量に達していないことがわかりました。さらに、脳を経由する動脈と静脈で、脳の主なエネルギー源である糖と乳酸と酸素の量を測ることで、脳のエネルギー代謝量を算出したのですが、運動時間が異なるにもかかわらず、脳の代謝レベルと脳機能が低下していることがわかった。筋肉が疲労して運動を停止しているのであれば、本来は、脳の代謝(疲労)レベルに差がでるはずですが、どちらも脳代謝の低下レベルが同程度のところで運動をやめている。この結果は、筋肉が音を上げて運動を止めたのではなく、脳が指令を出して運動を止めたということを示唆しています」

新たな挑戦から見えてきた
脳血流の認知機能の意外な関係

小河教授は、脳血流の調節と呼吸の関連性にも注目している。
「人間が活動している以上、代謝により体内で二酸化炭素が発生し続けます。しかし、脳血管は二酸化炭素による影響を受けやすい傾向があります。そのため、呼吸により常に体外に二酸化炭素を排出して血液中の二酸化炭素を一定に保っていますが、COPD(慢性閉塞性肺疾患)や睡眠時無呼吸症候群のような疾患があると、排出がうまくいかず脳卒中などのリスクが高まると言われています。そこで、現在は呼吸が脳に与える影響を様々な角度から調べています」
近年では、研究を発展させて、脳血流が認知機能に与える影響についても調べている。マラソンのような負荷の大きい運動をすると脳の血流が減り、意識が飛んだり、視界が狭くなったりすることがある。そこで、運動中にどのように認知機能が変化するかを実験で明らかにすることを試みたのだ。
「被験者に強度の高い運動をしてもらいながら、ストループテストを実施しました。ストループテストでは、“赤”という文字を青で書くなど、色と文字が一致しない単語を羅列し、指定された単語の文字の方を読み上げてもらうことで認知能力のレベルを測定します。すると、予想とは逆の結果が出ました。運動をすると徐々に脳血流が低下していくのに対して、ストループテストの正確さはほぼ変わらず、むしろ回答までの時間が短くなっていったのです。つまり、脳血流が低下したにもかかわらず、認知機能は向上しているのです。どのように制御されているのかまだ不明ですが、疲労した時に蓄積され、疲労回復に寄与する乳酸が脳の活動に影響しているのではないかとのデータが得られています」
小河教授は、運動による疲労困憊状態における乳酸値の変化を測定した。すると、1回目に疲労困憊状態になった時は高い数値が見られ、認知機能も高まったが、続けて2回目の運動をして疲労困憊状態にすると乳酸値が低くなるうえ認知機能が向上しないことがわかった。この結果は、認知機能の向上に乳酸が強く関与していることを示唆している。
「脳がどのような機能を持つかどうかを調べるのではなく、何が起きれば脳の機能が変化するのかを解き明かすことで新たな知見が得られます。こうしたアプローチで研究を進めることで、認知症などの脳疾患の原因も明らかになるかもしれません」

生理学研究から得られた知見を
スポーツの現場で活かしたい

小河教授は工学部の出身で、大学卒業後は重機の設計に携わっていた。しかし、大学や社会人でサッカー選手としてプレーする中で、大学時の監督の科学的なサッカー指導に触れ、研究で得た知識をスポーツに生かすという仕事に憧れを抱いて生理学・スポーツ科学の道に進んだという。 博士号取得後は、ポスドクとしてアメリカの大学で研究者としてのキャリアをスタートさせている。
「渡米当初は、所属が医学部ということもあり、スポーツ科学ではなく、血圧を調節する圧受容器反射という生理機能について研究を行っていました。人間の頸動脈や心臓、肺には、エアコンのサーモセンサーのように、血圧の変化を感知して一定の値に保とうとする圧受容器反射のレセプターがあります。例えば、人間が寝た状態から立ち上がると重力により血液が下肢に集まり、脳血流が低下することになりますが、レセプターがそれを感知して脚の血管を収縮させたり、心拍数を高めて心臓から駆出される血液量を増加させて脳への血流を確保しているのです。しかし、圧受容器反射がどのように脳の血流をコントロールしているのか明らかでなく、また脳が重要な臓器であるにも関わらず、関連する研究はほとんど行われていませんでした。そこで、脳と血液循環の関連について興味を持ち脳循環機能に関する研究を始め、現在の研究のテーマの一つとなっています」
小河教授は、2021年1月に、女子サッカーWEリーグ所属チーム「ちふれASエルフェン埼玉マリU18」のフィジカル&コンディショニングコーチに就任した。元々、サッカーを入り口として研究の世界に進んだだけに、特別な思い入れを持って取り組んでいる。
「選手のフィジカルを高めるための様々なトレーニングメニューを考え、選手に実践しています。“慣れ”でこなしてしまわないよう、シュート練習にランニングトレーニングを加えたり、スマートウォッチを配ってランニングのタイムを計るなどの工夫を取り入れています。スポーツ科学の分野は難しく、選手たちを研究対象にするとデータを取って論文にまとめるだけで、現場にフィードバックできないことも多々あります。また、経験に基づいて方法をブラッシュアップしている面もあり、科学的な知見をそのまま押し付けることもはばかられます。現在は、選手のフィジカルやコンディショニングに注力していますが、将来は選手のデータを集めて科学的に検証を行うラボのようなものを作りたいと思っています。そうして科学的なエビデンスを積み上げることで、選手のパフォーマンス向上に繋げることが目標です」

PROFILE

小河 繁彦(理工学部 教授)

1999年、京都大学大学院で博士号取得。テキサス州立北テキサス大学医学部助教授、欧州宇宙機関客員研究員などを経て、2009年より現職。2021年に、ちふれASエルフェン埼玉マリU18フィジカル&コンディショニングコーチに就任。

TOP