日本のスポーツの歴史をひもといてスポーツと社会の関係を明らかにする

2008年、日本体育大学大学院体育科学研究科博士後期課程修了。博士(体育科学)。東洋大学法学部専任講師、准教授を経て、2017年より現職。江戸期以前の日本のスポーツ史を主な研究テーマとしている。オリンピック、パラリンピックにも造詣が深い。

TOYO PERSON

スポーツは人類が生み出した偉大な文化の一つだ。今や老若男女を問わず、世界中の人々が何らかの形でスポーツに興じている。スポーツは人間社会に欠かせない営みだと言っても過言ではない。だが、スポーツはいつからそのような存在になったのだろうか? 近代化される以前の日本にもスポーツはあったのだろうか? そんな疑問に対して歴史的な資料をもとに答えを出そうとするのがスポーツ史研究だ。法学部法律学科で教鞭を執る谷釜尋徳教授は、学生時代から日本のスポーツ史の研究に没頭し続け、その集大成ともいうべき著書『歩く江戸の旅人たち』を上梓した。ここでは、その内容を中心に、谷釜教授のこれまでの研究についてお話を伺った。

お伊勢参りから見えてくる昔の日本人の旅文化と身体能力

「私が江戸時代の旅の研究を始めたのは、大学院の修士課程の頃でした。学部時代は選手としてバスケットボール漬けの生活を送っており、将来は高校の教員になってバスケットボールの指導をしたいとおぼろげに考えていました。しかし、せっかく大学院に進学したのだから、バスケ以外のことに挑戦してみたいと思い、当時はまだ手付かずの分野であり、比較的文献史料も残っている江戸時代の日本のスポーツ文化について研究することにしたのです」
旅とスポーツを結びつけるのは意外に思われるかもしれないが、江戸時代の旅の主な移動手段は徒歩であり、“歩く”という身体運動を伴う行為である旅は、広義ではスポーツと捉えることができる。現代でいうトレッキングのようなものだと考えると分かりやすいだろう。研究を始めた当初、谷釜教授自身、江戸時代の旅といえば「東海道中膝栗毛」くらいしか思い浮かばなかったという。しかし、各地の図書館や古書店を訪ねて史料を調査してみると、江戸時代の旅人が書き残したかなりの数の旅日記が残っていることが分かった。また、内容を読み解くと、歩いたエリア、宿泊した場所、食べた物、買った物とその値段、時には行動した時刻まで、旅の足取りが詳細に記されていたという。
「このような旅の記録をたくさん集めれば、当時の人々がどのような旅をしたのか明確になると考えました。そして、研究を進めていくうちに、移動手段である『歩行』そのもの、そして当時最もメジャーな旅であった『お伊勢参り』に着目するようになったのです」
谷釜教授は旅日記の記載をもとに、お伊勢参りの旅人たちが歩いたルートや歩いた距離、歩く速度を割り出した。また、当時一般的な履物だった草鞋についても詳しく調べるなど、徹底した調査により、知られざる江戸時代のお伊勢参りの実像を浮かび上がらせた。
「研究の結果、江戸時代後期には、当時の日本人の6人に1人がお伊勢参りをするほど一般化していたことがわかりました。また、旅人は居住地と伊勢を直線的に往復するのではなく、行きと帰りで異なるルートを通って、より多くの異文化に触れて楽しもうとしていたことも分かってきました。数字で言えば、1日の歩行距離の平均は35㎞、長くて60㎞を超える日もあり、総歩行距離が2000㎞以上に及ぶこともあったようです。また、当時のいわばスポーツシューズであった草鞋はあまり耐久性が高くなく、1日1回のペースで交換する必要がありました。そのため、道端や茶屋など至るところで草鞋を買うことができ、宿場には草鞋専用の廃棄場所まであったといいます」
こうした研究結果をまとめたのが、前述の著書『歩く江戸の旅人たち』だ。学術書として出版されたが、ユニークな研究内容が大きな注目を集め、広く読まれることとなった。
「本を出版してから一般の読者の方から感想のお手紙などをいただくようになりました。実際に徒歩で日本全国を旅している方からは、“自分が歩いてみた感覚でも1日に歩ける距離は35km程度が妥当に感じる”といった内容のお手紙をいただき、とても励みになりました。また、『江戸庶民の旅と歩行』というテーマで全国各地で講演する機会をいただいたり、スポーツ分野以外の方々との交流が芽生えるなど、出版をきっかけに様々な広がりが生まれました」

お伊勢参りから見えてくる昔の日本人の旅文化と身体能力

平安の時代からスポーツ好きだった日本人

谷釜教授は現在、複数のテーマでスポーツ史研究に取り組んでいる。そのうちの一つが、松尾芭蕉の『奥の細道』に関する研究だ。松尾芭蕉は奥州行脚をする際に、かなり長い距離を毎日のように歩いたと言われている。しかし、調べてみると現代人よりは健脚だが、当時の人々の平均的な歩行能力と比べれば、芭蕉は並外れた脚力の持ち主というほどではなかったことが分かってきたという。また、8月には『ボールと日本人』という著書も上梓した。
「平安貴族から中世の武士、江戸時代の庶民、そして近現代の人々まで、日本人がどのようにボールゲームと親しんできたのか研究した結果をまとめた本になります。明治以降、欧米からさまざまなボールゲームが輸入されますが、江戸時代以前にもそれに似たようなボールゲームが間違いなく存在していたのです。本を読んでいただければ、実は日本が古くから“ボールゲーム大国”だったことがわかるはずです」
科研費を獲得している研究テーマも、日本のスポーツ史を読み解くうえで非常に興味深いものだ。
「ペリー来航以来、日本には多くの欧米人が入ってきますが、彼らの任務の一つは日本という国の事情を本国に伝えることでした。そのため、彼らの日記や報告書には、随所に日本人の生活事情が記されており、中には日本人がスポーツを楽しむ様子を記録した文書も残っています。それらをひもとくことで、幕末の日本のスポーツを外国人の視点で客観的に捉えることが研究の狙いです」
谷釜教授の研究からは、江戸時代以前から日本ではスポーツが盛んだったという意外な事実が浮かび上がってくる。また、現代と同様に、スポーツが当時の文化や社会情勢と密接に関連していたことも明らかにされる。
「実は、日本人は歴史上、二度にわたって海外からスポーツを輸入しています。一度目は、古代に中国大陸経由で蹴鞠や打毬(ホッケー)などを、二度目は明治時代以降に欧米から近代スポーツを大量に輸入しました。そして、その度に自分たちの文化に合うようにアレンジしてきました。その反対に、日本で独自に培ってきた身体技術を欧米のスポーツに生かした例もあります。例えば、日本の沿岸部の武士の間では、武術の一種として「水術」が発展しており、十を超える流派があったと言われています。中には現代の五輪種目でもあるアーティスティックスイミングの動きに近い技術を伝承してきた流派もあり、明治以降に水術の学校ができてからは、音楽に合わせて集団で演技をしたりしていたそうです。やがて、戦後に欧米からアーティスティックスイミング(当時はシンクロナイズドスイミングと呼んだ)が伝わりますが、伝統的な水術が礎にあったため、日本は瞬く間に世界の強豪国に踊り出ます」

平安の時代からスポーツ好きだった日本人

スポーツ史の観点から近代スポーツの問題点を考える

さまざまな視点から日本のスポーツ史を掘り下げてきた谷釜教授だが、好奇心のタネは尽きないと語る。
「スポーツ史の研究をしていく中で、昔の日本のスポーツにまつわる制度や思想などにも幅広く関心を寄せてきましたが、特に面白いと感じたのが『運動技術史』という分野です。人間の日常的な動作は、時代や地域、民族によって異なります。昔の日本人が、どのように歩いたり、物を運んだり、ボールを投げたりしたのか、身体運動そのものに焦点を当てて解き明かすことに非常にやりがいを感じます。また、選手のパフォーマンスに大きな影響を与える『用具』についても研究を進めたいと思っています。日本では遅くとも室町時代頃には、スポーツ用具の製造を生業とする職人がいました。最初は蹴鞠用具を作る人たちがメインでしたが、江戸時代には都市部を中心にかなりの数のスポーツ用具職人が店を構えていたことが分かっています。このような日本人のスポーツの世界を支えてきた“ものづくり”の歴史もひもといていきたいと考えています」
温故知新という言葉があるように、過去を省みることは、より良い未来を作ることに繋がる。スポーツにおいてもそれは例外ではない。近年、スポーツが議論の的となることが多いが、スポーツ史研究により得られた知見が問題を考える一助になるのではないかと谷釜教授は言う。
「古代から現代に至るまでの日本人の営みをスポーツを通じて確認できることが、スポーツ史研究の興味深い点のひとつです。そこから分かってくることは、スポーツが単独で存在するのではなく、あくまで社会生活の一部として存在しているということです。コロナ禍でスポーツに対して賛否両論の意見が飛び交っていますが、それこそスポーツが我々の生活に浸透し、確固たるポジションを占めている証拠だと思います。また、スポーツにおける体罰の問題も日本ではよく取り沙汰されますが、スポーツ史的に俯瞰してみると、根本に立ち返った視点を得られます。今でこそ、スポーツには“勝利を目指して真面目に競い合うもの”というイメージがありますが、それは、ここ100~200年ほどの間に欧米社会を中心に作り上げられた一つの考え方で、人類のスポーツ史全体の中でいえば“最近のこと”に過ぎません。スポーツという言葉には、もともと“遊び”や“気晴らし”といった意味が含まれています。本来は“身体を使った遊び”であったはずのスポーツなのに、特に子どもたちが行うスポーツにまで“競争”が行き過ぎてしまうのは考えものです。現代のスポーツは、もっと“遊び心”を大切にしてもいいのではないでしょうか」

スポーツ史の観点から近代スポーツの問題点を考える取材日(2021年6月)
所属・身分等は取材時点の情報です。