「私のターニングポイントは2年生の終わり頃でした」と語る経営学部マーケティング学科の谷田部友理さん。それまではアルバイトや友達とのコミュニケーションを中心に学生生活を楽しんでいたそうですが、3年生から中国留学を目指して中国語を猛勉強し始めました。北京へ留学後も数々のトラブルに見舞われながらも、それを乗り越えて復学し、大きく成長したと自分でも感じています。

楽しかったけど、目標がなかった1、2年次

幼い頃、コンビニエンスストアに行くと「この商品は何故このように陳列されているのだろう」と疑問を抱いていました。高校生になり、この疑問を解くことができる“マーケティング”という学問があることを知り、興味がわいたことから、経営学部マーケティング学科を志望しました。しかし、入学後は、「何を学んで、4年間どのように過ごしたら良いのか」をイメージすることができず、目標も特に持つことができませんでした。とにかく目の前の授業をこなすだけ。アルバイトをして、好きな授業に出て、仲の良い友達とおしゃべりして…。「楽しければそれでいい」と思っていました。

そうしたなかでも、「海外」には興味がありました。ただ「絶対に留学したい」という強い思いではなく、ただ漠然と「いつか中国に留学してみたいな」と思っている程度にしかすぎませんでした。

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「中国留学」という潜在意識が掘り起こされた

自分が変わるきっかけは、大学2年生の冬に訪れました。アルバイト先で、学生団体などのいろいろな活動をしている他大学の先輩が、「谷田部さんはもう少し外を見た方がいいよ。授業やアルバイトでは気付くことのできないことがたくさんあるから」とアドバイスしてくれたのです。

それをきっかけに、「日中学生交流団体freebird」に参加することにしました。関東と関西、中国の上海の3支部で、「日本と中国の相互理解を目指したい」という学生150人ほどが活動しています。最初は、みんな大学や年齢、国籍や価値観などが違って「本当にいろいろな人がいるんだな」という印象でした。それなのに、同じ目標に向かって、意見を出し合って活動している姿に驚きを感じました。そして私は「今までやれなかったこと、本来やるべきだったこと」をやろうと心が決まりました。「本来やりたかったことは何か?」と考えた時、それは「中国へ留学をしたい」ということでした。

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人間としての成長を続け、感謝を持って生きていく

中国に留学する数カ月前から、図書館にこもって中国語を猛勉強しました。実は“努力”に対して、ずっと苦手意識があったのです。しかし、「大学2年生までの時間をムダに過ごしてしまった」という反省があったので、歯を食いしばって勉強し続けることができたと思います。その結果、「自分は努力ができる人間なんだ」という自信が芽生えました。そして、3年生の2月、1年間休学して北京留学へ旅立ちました。

ところが、現地に着いてみると、学生寮の環境が悪すぎて、初めの1カ月ほどは泣いてばかりでした。考えられないほど部屋が狭いことと、共同風呂のドアがないことにまず、ショックを受けました。そして、自分ではだいぶ中国語をマスターできていたと思っていましたが、留学先での授業で先生が話す言葉が全く聞き取れず、寮に帰っては毎日復習し、授業についていくのがやっとでした。半年後に北京内で転校する際には、手続きをするときに現地の公務員と言い争いになったり、伝えたはずの話が通じていないと言われて6往復させられたり、ついには転校が決まっているというのに強制退国までさせられてしまいました。

それでも、強制退国から3日後にはまた北京へ向かいました。「自分が転校したいと言ったのだから、その言動に責任を持とう」と、自分に言い聞かせたからです。自分で言うのもおかしいですが、本当に頑張ったと思います。不思議なもので、今、日本とはまったく異なる中国の民族性を好きになっている自分がいたのです。

留学経験も含めて、大学生活を通じて、自分が一番成長したと感じるのは「努力ができるようになった」ことです。これから社会に出ても「常に何かに打ち込み、成長し続ける人間でありたい」と思います。そして、北京でいろいろ大変な出来事があったにもかかわらず、乗り越えることができたのは、ルームメイトや友達が当たり前のように助けてくれたおかげ。普段は“当たり前”だと思ってしまうようなことにも感謝をしていきたいですね。「誰かが困っていたら、当たり前以上に助けてあげたい。助け合いながら、感謝を持って生きていけたらいいな」と思っています。

谷田部 友理さん経営学部 マーケティング学科 4年

  • 内定先:KDDI株式会社
  • 出身校:私立日本大学第二高等学校

  • 掲載内容は、取材当時のものです