中学時代から「社会科の教員になりたい」と強く希望していた、文学部教育学科の富沢早也香さんは、「教員免許が取れる大学で学びたい」という思いで東洋大学に入学しました。そして、1年生からの努力が実り、4年生の10月には教員採用試験の合格を手にしたのです。夢をかなえるため4年間まい進してきましたが「教職を目指す者にとって、この大学の環境が良かったことも結果を出せた理由の1つ」と微笑みます。富沢さんは卒業後「生徒たちと一緒に成長していく教員」を目標に、教育界へ進んでいきます。

楽しみを増やす“社会科の魅力”を伝えたい

中学時代の先生たちに大変お世話になり、今でも連絡を取り合っています。その先生方との出会いが、教員を目指すきっかけになったと思います。

もう1つの理由は、父が中学校の教員だったこと。父は音楽の教員なので、私も音楽会などに出掛ける機会が多くありました。そこで父の教え子たちが楽しそうに歌ったり演奏したりしている姿を見ていて「お父さんはこんなふうに指導しているんだな、先生っていいなあ」と心がささやいたのかも知れません。

社会科の教員を目指したのは、中学時代に社会が一番好きな科目だったから、ということもありますが、社会科の知識があるとさまざまなことを楽しめるからです。例えば、生徒たちが修学旅行で古都を訪れた時、歴史や文化を少しでも知っていたらより楽しめますよね。そうした“社会科の魅力”を伝えていきたいのです。

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教員を目指す仲間と、恵まれた環境が力になる

教職課程を取っていたので1〜2年生の頃は月曜から土曜、毎日5限まで授業がありました。毎日忙しいのに「いずれ役立つかもしれない」と、家の近くの学習塾で中学生に国語を教えるアルバイトを始めたので、余計多忙になりました。その後、3年生になり、やっと授業数が減ったと思ったら、教員採用試験の勉強に突入。大学時代は「あっという間の4年間」でした。

実は、「教員免許が取れるなら、どの大学だって同じ」だと、入学前は考えていました。しかし、東洋大学の教育学科は「教員になる!」という意志の強い学生が多く、刺激を受けました。みんな目標が同じなので、励まし合い「4年間一緒に頑張った」という思いがあります。試験勉強で辛くなった時は、お互い「どんな勉強しているの?」「どこの採用試験受けるの?」などという話をしながらがんばってきました。

また、大学には教育職員を目指す学生のための教職支援室があります。私は週1回教職支援室を訪れ、教員採用試験合格のための学習計画について相談したり、面接対策や論文指導などを受けたりしていました。支援室の先生と話をするだけでも「よし、やろう!」という気持ちになるので、自分のモチベーションを高めるためにも活用していましたね。さらに、ゼミの須田将司先生にも度々教員採用試験の相談に乗っていただきました。

そうして、教員採用試験に合格し、中学校の社会科教員になる夢がかないました。同じ目標をともにする教育学科の友達、教職支援室やゼミの先生の励ましや指導は大きな力になりました。東洋大学は教職における学習環境が良く、周りの人間関係に恵まれたことも目標達成の要因と実感しています。

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教育実習で、予想外の“やりがい”を発見

4年生の6月、母校の中学校へ3週間の教育実習に行きました。その9月には、特別支援学校での教育実習が2週間ありました。「この免許も取得できるなら取っておこう」という程度の気持ちでしたが、実際に教育実習を経験し特別支援学校の教員の仕事をしたいという気持ちが高まりました。特別支援学校には、肢体不自由で自分から動きづらい生徒が多く、いろいろな面でサポートが必要でした。すぐに反応は返ってこないのですが、接しているうちにだんだんうれしそうな表情になったり、ニコニコ笑ってくれるようになったり、そういう小さな変化に大きなやりがいを感じました。後から聞いた話ですが、その学校の保護者会の中で「富沢先生良かったよね」と、私の話題になったそうです。教育の仕事は「がんばったことが生徒や保護者にも伝わる」のだと感動しました。

そして4年生の10月、教員採用試験に合格し、目標達成。でも、ここがスタートラインです。教職に就いたら、まず1年間生徒たちと向き合い、次の年はもっと、次の年はさらにもっと、というように「成長し続けたい」という思いが強くあります。生徒も成長していきますが「自分も現状に満足することなく成長し続ける」教員でありたいです。そして、一人一人の笑顔があふれるクラスを作れるように努力していきたいと思います。

富沢 早也香さん文学部 教育学科 人間発達専攻 4年

  • 内定先:埼玉県教育委員会
  • 所属ゼミナール:須田将司ゼミナール
  • 出身校:私立星野高等学校

  • 掲載内容は、取材当時のものです