【著作紹介】村山富市回顧録

[2018年6月更新]

村山富市回顧録

著者:薬師寺 克行(社会学部メディアコミュニケーション学科 教授) 【編】
出版社:岩波書店
出版年:2018年1月発行
価格:1,420円+税
ISBN:9784006033064
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内容:
戦後55年体制の一翼を担っていた日本社会党。しかしその誕生から、成田三原則、構造改革派論争、社会主義協会派騒動、そして新党問題など抗争を常に内部にはらんでいた。その最後の瞬間に元首相が見たものは。野党再編、リベラリズムをめぐる考えの違い、そして排除の論理……。すべては、既に、ここに、あった!

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教員メッセージ

 社会党という政党は、戦後の日本政治の歴史の中で長く自民党に対抗する最大野党として大きな存在でした。自民党は長期にわたり政権を維持しましたが、常に社会党を意識しながら政権を運営してきたのです。

 村山富市さんは、こうした社会党の歴史の中で特異な存在でした。社会党委員長で2人目の首相になった人なのです。1994年から約1年半の村山内閣は、自民党、新党さきがけと社会党という3つの政党による連立政権でした。本書は村山さんが自らの政治生活を克明に語ったオーラスヒストリーです。

 村山さんは大分の貧しい漁師の家の出身です。苦学して明治大学を卒業すると、大分に戻り組合活動や社会党の活動をしました。間もなく大分市会議員、大分県会議員、そして衆議院議員と政治家の道をステップアップしていきました。

 国会議員になって村山さんが見た社会党の中央組織は右派と左派の派閥が激しくぶつかり合う政党でした。それぞれの派閥に所属する議員らは自分たちの主張を通すことに一生懸命で、日本の政治をどうするかとか政権を取ることなどは二の次でした。村山さんはそんな社会党にうんざりしつつ、国会活動に力を入れリクルート事件などで自民党を追求する急先鋒に立ちました。

 1993年、スキャンダル続きの自民党が政権を失い細川護熙氏を首相とする「非自民連立政権」が誕生しました。しかしこの政権は短命に終わり、自民党が政権に復活しました。その時に誕生したのが村山内閣でした。

 村山さんは首相として、内政・外交問題への対処に追われました。ここで支えてくれたのは同僚の社会党議員ではなく政権運営の経験が豊かな自民党議員や自民党出身の閣僚らでした。阪神大震災、オウム真理教事件など様々な問題に対処する忙しい日々を送った村山さんは、社会党の議員らが国政の運営にほとんど興味を持たず、相変わらず派閥対立を繰り返していることに呆れたのでした。

 そして、村山さんが首相を辞め社会党に戻ると、社会党の衰退は一気に加速しました。1996年に初めて行われた小選挙区比例代表並立制の総選挙を前に、自分たちの生き残りを優先する議員たちが社民党(社会党から党名を変更)を飛び出し党は分裂しました。選挙の結果は惨憺たるもので、当選者はわずか15人でした。一時は100人を上回る数の衆院議員を抱えていた政党はここで事実上の消滅状態になったのです。

 本書で村山さんは、社会党がどういう政党だったのか、なぜ政権を獲得できなかったのか、なぜなすすべもなく短期間で衰退してしまったのかなどについて、自らの反省も込めて率直に語ってくださいました。日本の戦後政治を知るうえでとても貴重な証言となっています。

 

目次

第1章 国会議員への道のり
第2章 派閥全盛時代の社会党
第3章 国会のひのき舞台で
第4章 非自民政権の挫折
第5章 混迷、そして崩壊へ-社会党新党問題
第6章 「村山談話」「阪神大震災」「米軍基地問題」

[著者] 薬師寺 克行(ヤクシジ カツユキ)

薬師寺克行先生

1979年東京大学文学部卒業、朝日新聞社に入社。
政治部で首相官邸や外務省などを担当し、1997年に政治部次長、2001年から2005年まで論説委員。
この間、2002年に米国のシンクタンク、スティムソン・センター客員研究員(兼務)に派遣される。
2005年に朝日新聞社のオピニオン誌、月刊「論座」編集長、2009年に政治部長、2010年に編集委員。
2011年に朝日新聞を退社し、東洋大学社会学部教授。専門は現代日本政治、日本外交。

 

関連リンク

東洋大学研究者情報データベース(薬師寺克行教授)