07 マラソンをする人 津波響樹 07 マラソンをする人 津波響樹

酒井監督だけは、自分に対して厳しい言葉をかけてくれた。 酒井監督だけは、自分に対して厳しい言葉をかけてくれた。

陸上長距離をはじめたきっかけと、東洋大学を選んだ理由を教えてください。

小学校卒業までサッカーに熱中していましたが、中学校にはサッカー部がありませんでした。サッカーで培った持久力を活かせる競技を求めて、陸上競技の長距離を始めました。東洋大学に入学する決め手となったのは、陸上競技部長距離部門の酒井俊幸監督からの言葉です。高校3年生の時、複数の大学から声を掛けてもらったのですが、自分のことを褒めてくださる方が大半という中で、ただ一人、酒井監督からは厳しい言葉をかけられました。それは、東日本大震災が起こった年に出場した1500mの東北大会について。私は2位だったのですが、優勝したのは震災で甚大な被害を受け、練習はおろか日常生活もままならなかった福島県の選手でした。そうした選手が厳しい環境でも努力を重ねているなかで、自分が勝ち切ることができなかったのには、まだまだ甘い部分があると。「簡単には褒めないぞ」という監督のスタンスを感じ、そうした環境に身を置いて自分を高めたいと思ったのです。

成功体験はすぐに忘れ、悔しい経験は次に活かす。 成功体験はすぐに忘れ、悔しい経験は次に活かす。

印象に残っているレースを教えてください。

高校3年生の時に出場した全国高校駅伝競走大会と、大学1年の時に出場した全日本大学駅伝対校選手権大会です。高校駅伝では優勝候補として出場したにもかかわらず、私の大ブレーキで、入賞すらできませんでした。高校最後の大会で、ただただ悔しい結果となり、「こんな思いは二度としたくない」と強く思いました。もうひとつの全日本大学駅伝では、最長区間であるアンカーを任され、トップでタスキをもらったのに、私が2位に後退させてしまいました。このふたつは、自分の中で絶対に忘れてはいけない大会。つらい時には、この大会の録画を見て、当時の悔しさをバネに自分を奮い立たせています。逆に、良い経験はすぐに忘れるようにしています。「成功体験に捉われると慢心につながる。一日二日は良いけれど、すぐに切り替えろ」。高校時代の監督の言葉がきっかけで、この姿勢を徹底するようになりました。

レースはお祭り。当日には必ず赤飯を食べる。 レースはお祭り。当日には必ず赤飯を食べる。

マラソンの魅力を教えてください。

マラソンは自分の思い通りにいかないことが大半です。それでも、一日一日の積み重ねで、自分が着実に強くなっている感覚を得ることができる。それを身ひとつで叶えられるところが、マラソンの魅力だと思います。レース終盤、過酷な局面で支えとなるのは、それまでに自分を追い込んだ練習の積み重ねです。練習で妥協すると、そのシーンが残像として残り、レース中のきつい場面で思い出してしまうのです。私はマラソンのレースというのは、それまで準備してきた成果を披露する機会であり、「お祭り」だと捉えています。そして、無事にお祭りの日を迎えられたお祝いとして、試合当日は決まって赤飯を食べるようにしています。試合前、過度に緊張して自分の実力を発揮できない時期もあったので、緊張を緩和するためにも、こうした考え・習慣を持つようになったのです。

今後の目標についてお聞かせください。

東京五輪に内定した今、メダル獲得というのはひとつの目標ですが、そう簡単にメダルを獲れる舞台ではありません。自分の競技人生で積み重ねてきた経験を総動員させて、メダル争いに加わりたいと思っています。五輪出場は大学時代からの目標で、それをモチベーションにこれまで練習に取り組んできました。2019年9月のマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)で2位となり、五輪出場が内定した時は、目標の舞台に辿り着ける嬉しさと安堵感でいっぱいでした。練習で行ってきたことをそのまま試合に活かして結果を残せる安定感が自分の強みだと思っているので、今後も練習に励み、その成果を五輪というお祭りの舞台で発揮したいです。また、一人でも多くの子どもたちに自分の走りを見てもらって、夢を与えられたらいいなと思っています。

お守り

今は亡き祖母の写真を中に入れて、妹が手作りしてくれたものです。
いつもこれを胸に付けてレースに出場し、
走るのが得意だった祖母に自分の姿を見せてあげています。

頭で走るな。心で走れ!! 服部 勇馬

PROFILE

服部 勇馬 / HATTORI YUMA

【出身地】
新潟県

【所属】
トヨタ自動車株式会社 陸上長距離部
(東洋大学 経済学部 経済学科 2016年3月卒業)

記事の内容は取材当時(2020年2月)のものです。

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