01 走り幅跳びをする人 津波響樹 01 走り幅跳びをする人 津波響樹

故郷を離れ、ストイックにさらなる高みへ。 故郷を離れ、ストイックにさらなる高みへ。

走り幅跳びの世界に足を踏み入れたのはなぜですか?

高校で陸上を始めた当初は、幅跳びではなく100m走の選手になりたいと思っていました。花形競技の100m走に憧れていたのです。幅跳びに取り組むようになったのは、顧問の先生からたまたまお声がけいただいたからで、幅跳びを専門に勝負していく自分の姿は想像していませんでした。しかし、高校2年時の全九州高等学校体育大会で優勝したのをきっかけに、「幅跳び選手」としての自覚が段々と芽生えたように思います。実は2つの種目は全く違うものというわけではなく、幅跳びは飛距離を伸ばすエネルギーに変換するための「助走速度」が非常に重要な競技で、短距離走と密接な関係があるのです。

東洋大学に入学後、生活は大きく変わられたのでしょうか。

故郷である沖縄を離れることに戸惑いや寂しさはありましたが、高校時代の陸上部顧問の先生が「関東で揉まれて強くなってこい」と力強く送り出してくださったこと、そしていつも支えてくれる母の存在もあって、今は一層練習に励めています。東洋大学は梶原監督や土江コーチなど日本でもトップレベルの指導者が揃い、かつ少人数で自分に合った質の高い指導を受けられるとても恵まれた環境です。言われたことを真摯に受け止めて糧にする精神で、高校時代に形成した土台を基に日々鍛錬を重ねています。

先輩の背中に手を伸ばし跳躍した8.09m。 先輩の背中に手を伸ばし跳躍した8.09m。

今までで一番印象に残っている試合を教えてください。

やはり初めて8mの壁を超えた第86回日本学生陸上競技対校選手権大会です。その日は自分の競技直前に、部の先輩である桐生祥秀選手が陸上100mで日本人初の9秒台を記録し、「自分もやれるぞ!」と触発されました。それまでの私の自己ベスト7m77cmでは日本でやっと戦えるかどうかのレベルですが、8mを超えれば世界戦の土俵に上がれます。そこに自分が到達したことが本当に嬉しかった。大会で履いたスパイクは、今も大事に実家に飾ってあります。桐生選手とはよく一緒に練習をしており、プライベートでも仲良くしていただいています。普段から尊敬できる選手が身近にいて、刺激を受けられるのは特別なことだと思います。東洋大学陸上競技部は先輩後輩の区別なく部員同士の仲がとても良いのが特徴で、互いにプラスになる関係を築けているのではないでしょうか。また、監督・コーチとも確かな信頼があり、自分が記録を出して監督たちが認められるのは何よりの喜びです。

世界で戦うために自分の身体と向き合う。 世界で戦うために自分の身体と向き合う。

今後の目標についてお聞かせください。

具体的な大会での成績で言えば、2020年6月の日本選手権で優勝し、日本一のジャンパーになることがまず第一。「走り幅跳びといえば津波」と言われるようになりたいです。もちろん、東京オリンピックの代表に選出され活躍するのも、大きな目標として念頭に置いています。ただ出場するだけに留まらず、しっかりと成績を残していきたいです。加えて自分自身の中では、怪我をせず100%の力を出し切るジャンプをすること。私は怪我が多い方なのですが、一つの怪我が選手生命に直結しかねない競技のため、フォーム調整やコンディション管理に監督と二人三脚で努めています。走り幅跳びは、走って跳ぶというシンプルで美しい競技です。勝負は、跳躍の瞬間に既に決まってしまいます。私の武器であるバネから繰り出される助走スピードを活かし、誰よりも遠くへ跳ぶ姿を皆さんの目に焼き付けたいと思います。

ユニフォーム

結果を出せた試合で着ていたのは大体このユニフォーム。
鉄紺に映える「TU」のマークを胸に、勝負の場へ挑みます。

東京オリンピックでメダル獲得!! 津波 響樹

PROFILE

津波 響樹 / TSUHA HIBIKI

【出身地】
沖縄県

【所属】
ライフデザイン学部 健康スポーツ学科 4年

記事の内容は取材当時(2019年11月)のものです。

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