東洋大学とオリンピック History of Toyo University with the Olympic and Paralympic Games

11.ハードパンチャー世界を制す

奈良県出身の村田諒太(2008年3月経営学部卒)は、幼い頃は水泳や陸上競技に親しんでいました。中学生でボクシングと出会い、南京都高校に進学すると2年時には高校タイトルを総なめにします。高校3年時には、全日本選手権に出場し準優勝に輝きました。

東洋大学時代には、数々の国際大会に出場しメダルを獲得します。この頃、当時K-1世界王者であった魔裟斗と幾度となく公開スパーリングを行い、そのハードパンチャーぶりには魔裟斗も一目置いていたそうです。2007年、翌年に迫った北京オリンピックへの出場を目指しますが、惜しくも叶わず一度は現役を退きました。

卒業後は東洋大学の職員として勤務する傍ら、体育会ボクシング部のコーチとして後輩の指導にあたります。2009年に現役復帰すると、その年から全日本選手権3連覇を達成しました。

2011年の世界選手権では見事銀メダルに輝き、夢のオリンピック出場の切符を手中に収めます。村田の階級であるミドル級での五輪出場は、日本人として16年ぶりでした。

同じく東洋大学卒業生の須佐勝明(2008年3月法学部卒自衛隊体育学校)とともに挑んだはじめてのオリンピック。ロンドンの地で村田諒太が躍動しました。第2シードで出場した村田は、2回戦でアルジェリアのラフーを判定で下すと、準々決勝ではトルコのキリッチに逆転勝ちしメダルを確定させます。続く準決勝ではウズベキスタンのアトエフにリードを許すも、後半の猛攻によりまたも逆転勝利。金メダルに王手をかけました。

決勝戦の相手はブラジルのファルカンでした。村田を十分に研究していたファルカンの巧みなボクシングに苦しみながらも、終了間際に強烈な“右”を顔面に見舞い判定(14-13)で退けました。村田が悲願の世界王者の座についた瞬間です。オリンピックでのボクシング日本勢としての金メダル獲得は、東京オリンピック以来48年ぶりの快挙でした。半世紀ぶりの偉業達成に日本中が沸き、村田は一躍時の人となりました。当時、東洋大学の学生部職員であった村田の元に多くのファンが詰めかけたほどです。

この年、東洋大学は創立125周年。村田諒太の世界制覇は母校の節目の年に花を添えました。

ロンドンオリンピックの後、村田はプロボクシングの世界に身を投じることを決意しました。アマチュアボクシング界のヒーローは、プロボクシングの世界チャンピオンとなるべく挑戦を続けます。2017年10月22日、ついにその時が訪れました。両国国技館で行われたタイトルマッチでフランスのエンダムをTKOで破り、村田諒太はWBA世界ミドル級王者に輝きます。オリンピックとプロボクシング両方の制覇は、ミドル級では史上初の快挙でした。