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東洋大学とオリンピック History of Toyo University with the Olympic and Paralympic Games

7.華麗なるジャンパー モントリオールの空を舞う

座右の銘は「白露もこぼさぬ萩のうねりかな」(芭蕉)。東洋大学文学部国文学科に提出した卒業論文のテーマは『奥の細道ー芭蕉と木曾義仲の接点ー』。当時のスポーツ界にあっては異色の“才女”として知られた陸上走り高跳びの曾根幹子です。

広島県出身の曾根幹子は、高校2年(上下高校)で日本選手権を制し一躍脚光を浴びます。高校3年の日本選手権で東洋大の鈴木久美恵とデッドヒートを演じ、1m69cmの高校新記録を出しました。

東洋大学に進学後、跳躍フォームをそれまでのベリーロールから背面跳びに変更し、さらなる飛躍を目指しました。大学4年の日本選手権では、日本人歴代2位の1m77cmを跳び日本記録まであと1cmと迫ります。実は、予選前日に痴漢に遭遇し、睡眠不足で体調を壊して臨んだ大会でした。同年秋の茨城国体に出場した曾根は、決勝で1m83cmを跳びようやく日本新記録をマークしました。翌年2月の世界室内陸上競技会で樹立した室内新記録(1m80cm)を置き土産に、曾根幹子は東洋大学を卒業します。

卒業後も、曾根の快進撃は止まりません。就職先に選んだのは大昭和製紙。陸上競技の名門チームです。同年11月の日本選抜陸上競技大会で自らの持つ日本記録を2cm更新(1m85cm)した曾根は、翌年に控えたモントリオールオリンピックの候補選手に抜擢されます。この時、曾根は23歳。すでに日本のエースに成長していました。

オリンピックに備えるべく、アメリカの大会を転戦する“武者修行”も順調にこなし、あとは本番の夢舞台を待つばかりでした。
「初めてなのと、日の丸が多かったので感激しました。」(『読売新聞』1976年7月19日朝刊)オリンピック開会式後の取材に対する曾根のコメントです。

1m74cmの長身が、華麗にモントリオールの空を舞いました。足の不調で満足に練習ができなかったこともあり、結果は予選敗退でしたが、東洋大学出身の女性がはじめて夏季オリンピックに出場した価値ある足跡がここに刻まれました。