東洋大学とオリンピック History of Toyo University with the Olympic and Paralympic Games

6.入賞者・メダリスト登場の時代へ

ミュンヘンオリンピック(1972年)の頃になると、東洋大学から複数の選手が大会に出場し、好成績を収めるようになります。最初にオリンピックのメダル争いに名乗りをあげたのはレスリング競技でした。米盛商事所属の梅田昭彦(1970年3月経営学部卒)は、レスリングのフリースタイル48kg級で見事6位入賞を果たしています。

鹿児島県出身の平山紘一郎は1970年3月に東洋大学(法学部)を卒業後、自衛隊体育学校でめきめきと頭角をあらわし、ミュンヘンオリンピックにグレコローマンスタイルの52kg級代表として出場します。レスリング競技の日本選手でただ一人決勝リーグまで勝ち残った平山は、決勝戦で当時世界王者(メキシコ五輪金メダリスト)であったブルガリアのキロフと金メダルをかけて戦いました。世界の檜舞台で、平山はキロフ相手に積極的に攻勢に打って出ます。何度も背負い投げやタックルを仕掛けますが、守りを固めたキロフには通じずに両者決め手がないまま引き分けに終わります。その結果、決勝リーグでの僅か1点の差でキロフが金メダル、平山は銀メダルを獲得しました。東洋大学初のメダリストの誕生です。

次のモントリオールオリンピック(1976年)でも、同階級に出場した平山には金メダルの最有力候補として期待がかけられました。最終戦では世界王者のコンスタンチノフ(ソ連)を破りましたが、決勝リーグを通じた点差と対戦成績により平山は銅メダル。二大会連続のメダルを手にしました。29歳の平山は、このオリンピックを最後に現役引退を決意します。

モントリオールオリンピックでは、柔道の80kg以下級で井上英哲(1977年3月経営学部卒)が見事銅メダルを獲得しています。