東洋大学とオリンピック History of Toyo University with the Olympic and Paralympic Games

4.1964年 東京オリンピックと東洋大学

今からおよそ半世紀前の1964年10月10日、東京オリンピックの開会式が行われました。開会式でのNHKの北出清五郎アナウンサーによる「世界中の秋晴れを全部東京に持ってきてしまったような、素晴らしい秋日和でございます!」との名実況に、テレビの前の日本人の心は躍りました。

東京オリンピックは、地の利を活かした日本人選手たちが次々と大活躍したことでも知られています。女子バレーや体操競技をはじめ16個もの金メダルを獲得しました。金メダル獲得数で言えば、アメリカ、ソ連についで堂々3番目に喰い込んでいます。

この東京オリンピックと東洋大学との関係は、これまであまり語られてきませんでした。東洋大学関係者で初のオリンピック選手は、東京オリンピックで誕生しています。陸上3000m障害に出場した奥沢善二(1960年3月経済学部卒)です。本学卒業後は東京急行電鉄に入社して競技に励んでいた奥沢でしたが、オリンピック前年に膝を骨折する大怪我を負い、その影響で最終選考会でも落選してしまいます。しかし、奥沢は決してあきらめませんでした。開会式3週間前に行われた“敗者復活戦”で好成績を収め、見事に出場権を勝ち取ったのです。東京オリンピックの日本選手団は合計357人でしたが、奥沢はその最後“357人目”に出場を決めています。大会本番では世界レベルに歯が立たず予選敗退となりますが、東洋大学にとっては歴史的な一歩となりました。

東洋大学は東京オリンピックそしてオリンピック後に開かれたパラリンピックのサポート役を積極的に買って出ます。東洋大学短大の観光科の学生たちが代々木の選手村食堂で食券係や配膳サービスなどを担当し、一躍脚光を浴びました。同年8月18日の『読売新聞』には「みんなが日本の代表選手」という見出しで、オリンピック開催前の選手村食堂で東洋大生が活躍する記事が写真入りで掲載されています。また、自動車部は大会組織委員会からの依頼を受けて、選手や役員の選手村~競技会場間の車輸送を補助する役割を果たしました。いずれも現在の東洋大生にも継承すべき輝かしい“遺産”です。

選手村の食堂で活躍する東洋大生

1963年、国土美化運動のパレード

この時、選手村の食堂に駆り出されたのは、東洋大を含め早稲田大・慶應大・明治大・立教大・女子栄養大・日本女子大などから総勢1,200人。皆、夏休みを返上して事前の訓練や本番の業務にあたっていました。また、食堂以外にも、村内の力仕事全般を日体大・国士舘大・日本大・順天堂大の体育系学部の学生が担っていたそうです。1964年の東京オリンピック成功の舞台裏には、多くの大学生が汗を流した現実がありました。

また、大学内では学生による東京オリンピックに向けた活発な行動も見られました。東洋大学体育会(田淵順一委員長)はオリンピック前年の1963年夏、東北遠征キャラバン隊を組織し、東北6県の県庁所在地に遠征を行います。その目的は、スポーツマンシップによる「道徳的心情豊かな人づくり」を訴えることや、東洋大学のPR活動でした。「美しい国土を、若い力で!」をスローガンに、大型バス2台・大型トラック1台・乗用車3台・ジープ1台・オートバイ1台を借り上げ、学生100名を超える大編成で、日中は各地の市街地を練り歩き、夜は吹奏楽部・軽音楽部らによる音楽公演が催されました。東洋大学のキャラバン隊の噂は瞬く間に広まり、一関では2,500人、山形では3,500人もの観衆が詰めかけたそうです。

東洋大学にとっての東京オリンピック(1964年)とは、選手の初出場はもちろん、選手村でのボランティアや東北遠征キャラバン隊の編成など、学生の秘めたるパワーを世の中に示すことにも繋がりました。それだけ、オリンピックの自国開催は当時の東洋大生の心を激しく揺さぶるものがあったに違いありません。

1963年、国土美化運動のパレード