東洋大学とオリンピック History of Toyo University with the Olympic and Paralympic Games

3.“幻のオリンピアン” 池中康雄

今からおよそ80年前、オリンピック出場まであと一歩に迫った東洋大生がいたことは意外と知られていません。その名は池中康雄(1937年3月文学部卒)。当時の陸上長距離界を席巻したマラソンランナーでした。

1935年4月、翌年に迫ったベルリンオリンピックに向けて東京の神宮競技場で「ベルリンオリンピックマラソン代表候補挑戦競技会」が行われます。この大会で池中は当時の世界最高記録を2分以上更新する2時間26分44秒で優勝し、ベルリンオリンピック出場の最有力候補となりました。同年正月の箱根駅伝で、池中は5区山登りで区間賞を獲得しているので、ランナーとして好調の時期にあったことがわかります。

しかし、そんな池中を悲劇が襲います。大病にかかった弟のために、大量の献血をしなければならなくなったのです。この影響もあって、1936年5月に行われた最終選考会では途中棄権を余儀なくされ、オリンピックの出場権を逃してしまいました。

それでも池中は、オリンピック出場の夢をあきらめませんでした。ベルリンには行けませんでしたが、1940年に開催予定だった東京オリンピックの出場権をほぼ手中に収めます。オリンピック前年の1939年には、競技部時代の仲間3名と連れ立って青森~東京間の216里(約842km)の走破マラソンを試みるなど、過酷な練習に身を投じました。しかし……日中戦争の激化により東京大会は中止(返上)に追い込まれてしまいました。池中が“幻のオリンピアン”と呼ばれる由縁です。

卒業後、池中は郷里の大分県中津に帰って指導者生活をスタートし、長距離ランナーの育成に半生を捧げました。有名な「別府大分マラソン」は池中が創設した大会です。