東洋大学とオリンピック History of Toyo University with the Olympic and Paralympic Games

2.運動部の設立と躍進

東洋大学に運動部が設立されたのは、20世紀に入ってからのことでした。1906年改正の『同窓会規則』(4条6項)には、運動部として撃剣部(後の剣道部)・柔道部・庭球部(後のテニス部)を置き、練習をすることになったと記されています。しかし、実際にはほとんど活動していなかったようで、当時学生であった常光浩然が中心となって1912年に撃剣部・庭球部・弓術部(後の弓道部)を創設したそうです。同年、日本はストックホルムで開かれたオリンピックに初参加を果たしましたが、常光青年はこの出来事に多少なりとも感化されて運動部の設立を思い立ったのかもしれません。

1925年に独立した部となった剣道部は、夏期の合宿や地方遠征、他大学との交歓試合、各種大会への出場など、活発な活動を展開しました。とりわけ、1927年6月11~21日にかけて行われた「東北・北海道武者修行」は、各地で熱狂的な歓待を受け大成功を収めています。

剣道部と同じく1925年に独立した庭球部は、創設当初は京北中学校のコートを借りて練習に励んでいました。1927年に日比谷公園コートで挙行された全国大学専門学校軟式庭球大会では、島田・西寺ペアが決勝戦で国士舘大学を破って優勝しています。

上記の2部とは異なり、弓術部は1912年に誕生してから間もなく衰退してしまいます。1927年に有志が寄り集まって弓術同好会を興すも活性化しなかったために、1929年に新たに弓道部が結成されました。1933年には学友会の一部として独立し、同年の専修大学と拓殖大学との秋季三大学定期戦では優勝を果たしています。

1906年には組織化されていた柔道部が、学友会の部として独立したのは1925年のことでした。1927年9月には東北・北海道遠征を、1938年6月には東北・北陸遠征を行うなど、その盛況ぶりがうかがえます。

野球部は1924年に創部され、翌年に学友会の一部として独立しています。1926年には大学専門学校野球連盟に加盟しました。やがて、東洋大・國學院大・専修大・日本大・東京商科大(後の一橋大)・宗教大(後の大正大)によって東京新大学野球連盟が結成されます。現在の東都大学野球連盟の前身です。

柔道部

野球部

1927年、競技部(後の陸上競技部)が誕生します。創設当初より部員数は50名を超えていたそうで、早くも同年の全日本選手権大会には砲丸投げの鹿野節が出場を果たしています。1933年には第14回の箱根駅伝に初参加しました。この時参加したのは、東洋大・早稲田大・慶應大・日本大・明治大・中央大・文理科大・法政大・日本歯科大・東京農大・拓殖大の11校で、本学は10位でゴールしています。

この他にも、昭和初期までに水泳部(1927年)・山岳部(1927~28年頃)・スケート部(1929年)・卓球部(1930年)・籠球部(1930年頃~後のバスケットボール部)・唐手研究会(1930年~後の空手道部)・拳闘部(1931年~後のボクシング部)・射撃部(1932年)・モーター倶楽部(1933年~後の自動車部)・相撲部(1940年)が相次いで産声を上げています。

日本人のスポーツ熱が次第に高まっていったこの時代、世相を反映するかのように東洋大生も熱心にスポーツに入れ込むようになりました。まさに、東洋大学運動部の草創期であると言えるでしょう。

水泳部

唐手研究会(空手道部)

拳闘部(ボクシング部)