井上円了諸学の基礎は哲学にあり
東洋大の創立者 没後100年

東洋大の創立者であり、日本の哲学の黎明期(れいめいき)の学者でもあった井上円了。大正8(1919)年の6月6日に61歳で死去し、きょう、没後100年を迎えた。日本の近代化のためには、哲学に基づく新たな物の見方、考え方が不可欠との信念から、後の東洋大となる哲学館を開学しただけでなく、全国を回り、民衆に哲学を広めた。学者というよりも、哲学の伝道者としての活動に力を入れたため、業績に比べると知名度が低いが、その生き方は、めまぐるしく変化する時代の中、物事の本質を見極めるための重要な示唆として今、評価が高まっている。

仏教の中に哲学を発見

顔写真・三浦節夫先生

円了を長年研究する東洋大ライフデザイン学部・三浦節夫教授

井上円了の生涯は表の通りだが、その業績について、円了を長年研究する東洋大ライフデザイン学部の三浦節夫教授=写真=は「膨大な著作を残した著述家の面と、現在の東洋大の創立や社会教育を行った事業家としての面」の2つを挙げる。そして両面に共通するのは「哲学を広める」という一点だ。
当時、哲学を研究できる唯一の大学である東京大哲学科に円了が入学したのは、同大創設からわずか4年後の明治14(1881)年。円了は日本で哲学を学んだごく初期の一人だった。
当時、一般国民が日本語で哲学を学ぶことのできるような書籍はほとんどなく、日本の近代化のためには、哲学に基づく物の見方・考え方を身につけることが不可欠と考えた円了は、自ら著述を行うことで哲学を広めようとした。その数は約180冊に上り、「論文も含めるとさらに多くなる」(三浦教授)。
円了はなぜ「哲学」が最も重要だと考えたのか。三浦教授は、「企業経営者が、単に経営の実務能力だけでなく、『経営哲学』を持つことが大事だというのをイメージしてもらうと分かりやすい」と話す。「諸学の基礎は哲学にあり」との言葉を残した円了は、医学や工学なども含め、哲学をもって行われることが大切だと考えた。
それでは、すべての分野の基礎だと〝発見〟した哲学とはどのようなものか。哲学者であり、円了の研究も行う東洋大の竹村牧男学長は「物と心とを分けず、ありのままの現実こそが絶対だとする見方」だとし、さらに「それと同じようなことが、例えば般若心経に『色即是空、空即是色』と書かれているように、幼いころから親しんだ仏教の中に既にあることに気づいた」のだという。
真理が哲学にあり、それは西洋だけでなく東洋にもあると考えた円了は、一部のエリートだけでなく誰もが哲学を学べるようにと明治20年、私立学校・哲学館を創立し、後の東洋大へと発展していった。

略歴

迷信打ち破る妖怪学

写真・井上円了の著作「妖怪学講義」

井上円了の著作『妖怪学講義』

哲学を広めるという大きな業績のある円了だが、「妖怪学」を確立した第一人者として知る人の方が多い。ただ、これも、日本の近代化には迷信などに惑わされぬよう、不思議な現象を学問的な姿勢で解明するという考え方に基づいたものであり、奇をてらった研究では決してなかった。その成果は現在も高い評価を受けている。
科学が未発達だった明治時代には、例えば、山道を一人で歩くとキツネに化かされるとか、神隠しに遭うといったことがまことしやかに語られ、「そういったことのために遠出や夜の外出といった行動が制約され、言いしれぬ恐怖感を持ち続けるなど、日常生活に支障が出ていた」(三浦教授)。
当時、それらの不思議な現象が「妖怪」のせいだとされる中、円了は古今東西のあらゆる書物から妖怪に関する記述を拾い、さらに全国への講演などの際に各地で資料を集め、学術的に分類を行った。
それをまとめたのが『妖怪学講義』で、妖怪とされてきたものの多くが、人の虚言に起因したり、偶然に起こった出来事を誤って妖怪と認識したりすることを明らかにした。

全国行脚し講演

日本の近代化のためには哲学が最も大切と考えた円了は、高等教育の学生だけでなく、哲学の伝道者として民衆へ広める活動にも着手する。
47歳で哲学館大学長を辞任し一介の教育者となった円了は、全国各地を回り講演を行う。それ以前にも各地で講演をしていたが、特に学長辞任後は、記録が残る死去前年までのわずか13年間に、全国の市町村の約6割を回り、5291回もの講演を行っている。
三浦教授は「鉄道も道路も発達していない時代状況を考えると驚異的な数字」とし、「地方と中央との情報格差が大きかった当時としては、重要な意義があった」と解説する。
哲学館創立の翌年には「講義録」の郵送により自宅学習できるという現在の通信教育にあたるシステムも導入した円了。あらゆる地域や階層へ向けての哲学普及に身をささげた人生から学ぶことは多い。

写真・現在の白山キャンパスの地に移転した当時の校舎

現在の白山キャンパスの地に移転した当時の校舎

写真・現在の東洋大白山キャンパス(正門付近)。奥に見えるのが井上円了像

現在の東洋大白山キャンパス(正門付近)。奥に見えるのが井上円了像

竹村牧男・東洋大学長に聞く
民衆のための教育 今も生きる円了の理念

インタビュー写真・竹村牧男・東洋大学長

たけむら・まきお

昭和23年生まれ。東京大文学部印度哲学科卒業後、文化庁宗務課専門職員、三重大助教授、筑波大教授、東洋大教授、同文学部長を経て現職。専門は仏教学、宗教哲学。著書に『唯識三性説(ゆいしきさんしょうせつ)の研究』『井上円了 その思想・哲学』(以上春秋社)、『入門 哲学としての仏教』(講談社現代新書)ほか多数。

井上円了の建学の理念を今も大切にする東洋大。自らも哲学者で円了の思想にも精通する竹村牧男・東洋大学長に話を聞いた。(聞き手・山本雅人、写真・古厩正樹)

--円了の思いが最も表れた東洋大の特徴とは
「明治時代、日本が西洋に少しでも追いつこうと、同時期に開学した私立学校の多くが実学をベースにした教育を行う中、円了が創立した哲学館、後の東洋大は哲学を基盤とする教育を行った。これは極めてユニークで、誇るべきことだと思う」
--具体的にはどのような教育なのか
「日本が近代化し、豊かになるためには、エリート層だけでなく、国民一人一人の知性が向上しなければならない。それには高度な学問が必要で、その学問とは、あらゆる物事を統括している哲学だと円了は考えた。哲学は各人の思考力を訓練するにも必要と思っていたようだ」
--エリート層の育成だけでなく民衆全体を対象にした
「哲学館設立の趣旨に『余資なく優暇(ゆうか)なき者』のために教育の機会を、とあり、経済的余裕のない人や英語などの原書を読みこなすことのできない人に学問を広めることに尽力した。その理念に基づき、授業の『講義録』を作って全国に郵送し、通学生以外も学習できるシステムも取り入れた」
--その理念は今も生きている
「夜間部を廃止する大学が多い中、本学はイブニングコースとして充実させ、学費も昼間部の約6割に抑えるなど、力を入れている。全私立大の夜間部の定員の4分の1を占め、志願者が増加傾向にある」
--民衆のために全国を回り講演した円了の精神も今に生きている
「現在、生涯学習のため、全国への講師派遣事業を行っている。最大の特徴は、会場さえ用意してもらえれば講師の講演料、交通費、宿泊費は大学側が負担して講師を派遣するというものだ」
--学長は仏教の専門家でもあるが、その視点から見た円了は
「西洋文明が流入した明治初期、仏教は古いものとされ、仏教界は萎縮していた。そんな中、まだ30代前半だった円了が、バラバラだった各宗派をまとめ仏教復興のための請願書を政府に出そうとまでした。日本の仏教が命脈を保つことができたのも円了の尽力があってこそといえると思う」

円了の足跡たどる

円了の足跡を多くの人に知ってもらおうと、東洋大は平成17年、白山キャンパス(東京都文京区白山)内に「井上円了記念博物館」をオープンさせた。正門を入り、緑に囲まれたなだらかな上りの大通り「甫水(ほすい)の森」を進むと、円了の銅像が出迎え、その背後の井上記念館(5号館)の1階に博物館がある。
円了直筆のノートや原稿、『妖怪学講義』など著作物、愛用の品などが、生涯を4つの時期に分けた展示構成に沿って並べられており、分かりやすく知ることができる(入場無料。ただし6月14日まで展示物入れ替えのため休館。通常は日、祝、年末年始など休館、土曜は午前のみ開館)。
大学の学長辞任後、社会教育を行うにあたって拠点とした「哲学堂」が、現在、中野区立哲学堂公園(東京都中野区松が丘)として一般に開放されている(無料、年末休園)=写真左。哲学を視覚的に表現しようとの円了の意図のもと、明治37(1904)年に建てられた「四聖堂」には、東洋哲学の孔子と釈迦、西洋哲学のソクラテスとカントの「四聖」がまつられている。春はサクラ、秋は紅葉が楽しめる。 究極の視覚的表現として、ユーモアのある人柄の一端をうかがい知ることができるのが、中野区江古田の蓮華(れんげ)寺にある円了の墓石だ。本人の生前の発意で、井桁の石の上に丸い石を置き、「井の上に円(丸)」と、墓石から名前がイメージできるようになっている=同右。

写真・哲学堂公園

円了が心血を注ぎ造り上げた哲学堂(現・中野区立哲学堂公園)

写真・井上円了の墓所

中野区江古田の蓮華寺にある円了の墓石


 ※2019年6月6日(木)産経新聞東京本社版朝刊 掲載記事を全文転載
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