Special Issue

世界のトップを目指せる国産カヌーを流体力学とバイオミメティクスで開発

東洋大学 オリンピック・パラリンピック連携事業

はじまりはカヌーのパドルだった。五輪競技のカヌーでは、欧米人選手に比べて体格の小さな日本人選手はひと漕ぎのパワーが弱い。それを解決するにはどうしたらよいのかと考えた際、望月が参考にしたのは、ひと漕ぎで身体の何倍もの距離を泳ぐことができるカエルの足だった。そして、流体力学やバイオミメティクス(生体模倣技術)を取り入れたパドルを作ればよいのではないかと考えたのだ。すると、パドルを製作するのなら、カヌー本体も開発してはどうかという声が聞かれるようになった。

「カヌーについて調べていくと、競技用カヌーの多くは強豪国である東欧で造られており、日本人選手も東欧製のカヌーを使用していることが分かりました。カヌーは東欧の選手の要望に応じて職人が造っているため、一つとして同じ船艇がありません。そして、日本人選手は体格の大きな東欧の選手に合わせて造られたカヌーに乗るため、ウレタンフォームなどで船艇内で身体が動かないようにしたりするなど調整して乗っているのです。そこで、日本人の体型に合うカヌーを造り、日本人が2020東京大会のスラローム競技で勝てる国産カヌーを開発しようということになったのです」

こうして2017年5月、競技用国産カヌー開発プロジェクト「水走(MITSUHA)」がスタートした。東洋大学オリンピック・パラリンピック特別プロジェクト研究助成制度と日本財団の助成を受け、大学の持つ「知」と産業界の有する「技術」を融合させた産学連携プロジェクトである。東洋大学が艇を設計し、自動車業界などの試作・研究開発、カーボン・CFRP加工技術を持つテックラボ、防滑に特化した製品技術を持つリーディングカンパニーのほか、KARA-FULL(外装デザイン)、ワイエムジーワン(船体のラッピング)が製作を担当している。開発した艇の性能評価は、日本カヌー連盟、東京都カヌー協会が担当している。また東京東信用金庫、浜野製作所(金属加工)とも連携している。

「水走(MITSUHA)」とは、『古事記』の弥都波能売神(みづはのめのかみ)、『日本書紀』の罔象女神(みつはのめのかみ)と表されるイザナミの娘である水の神の名前に由来する。純国産カヌーであるからこそ、日本らしく。望月は「西洋の科学は自然を克服する技術であるのに対し、日本の科学は自然と調和して進んでいく技術であるということを、2020東京大会を通じて世界にアピールしていきたい」との思いを込めて、「水走」と名付けたという。船体の外装は自然との調和を考え、生き物の模様をデザインに施した。

カワセミやカモノハシに学んだ激流での操作性

100分の1秒を争うスラロームは、急流の中でゲートに触れずにいち早くゴールすることが求められる競技だ。ゲートは、上流から下流に通過するダウンゲートと下流から上流へ遡るように通過するアップゲートの2種類があり、コース内には18〜25のゲートが設置されている。競技に勝つためには、「速さ」と「正確さ」が求められる。「速さ」のためには、加速性能と直進性能を高める必要がある。「正確さ」のためには、旋回性能の良さが必要となる。そこで「水の流れに乗っているときには抵抗を大きくし、漕ぐときには抵抗を小さくする」ことを基本的な設計方針とした。

「このような性能を高めるために応用したのが、流体力学やバイオミメティクスでした。波にも負けない、波を突き抜けるような抵抗を低減するために船首をカワセミのくちばしのような形状とし、旋回性を高めるためには船尾をカモノハシのくちばしの形状のようにすることで、滑らかで素早く左右へ船尾を振ることができるようにしました」と窪田は機能を説明する。そして、2017年8月に発表したコンセプト艇(0号艇)の船体側面には、サメのエラのようなギザギザの穴構造を採用し、上流から流れてくる水が穴から入ることで抵抗を大きくして加速を強めた。さらに、激流の中で障害物を避けて進むスラローム競技では、カヌーの進行を左右に素早く回転させる必要があり、船艇を一寸法師のお椀のように丸く回転しやすくすることで、方向転換が滑らかになり、障害物を回避しやすく、ターンしやすくなるようにした。

バイオミメティクス(生体模倣技術)とは生体のもつ優れた機能や形状を模倣し、工学・医療分野に応用すること。ハスの葉の撥水効果、サメ肌の流体抵抗の低減効果、ヤモリの指の粘着力などが材料開発などで実用化されている。

2020東京大会を目指し、2017年8月に0号艇が完成してから半年後には試験艇として1号艇、その半年後には2号艇を製作。そして2019年8月には実戦艇となる3号艇の公開テストを行うというペースの速さで開発は進んでいる。そのつど10分の1モデルを3Dプリンターで作り、実験や数値シミュレーション、解析を行ったうえで船艇を製作し、実際に競技で活躍している選手や日本カヌー連盟の関係者などにコースで試乗してもらい、東京都カヌー協会の評価を得ながら、より実戦を目指した試作と改良を重ねてきた。

「よく学生にも言うのですが、失敗はしてもいいと思っています。今となってはコンセプト艇である0号艇は、実戦艇の3号艇とは対極となる極端な形状をしています。でも、むしろそのような形状から開発を始めたことで、カヌーの性能を理解することができました。加速性能と直進性能、そして旋回性能をどのように高めていけばよいのか。0号艇のように極端なところから攻めてきたからこそ、性能を活かす本質を調べていくことができました。この数年間で積み重ねてきた知識をもって0号艇を改良すれば、3号艇とも違う新たなカヌーの形を生み出していくことができるかもしれません」

「水走」が海や河川との共生を考えるきっかけになれば

2020東京大会を目指し、現段階では3号艇を最終調整し、実際に選手に使用してもらうための改良を進めている。これまでは日本人選手に合うカヌー、日本人選手が勝てるカヌーの開発を目的としたプロジェクトとして産学連携を進めてきたが、大会後については、実用化を進め、世界に向けた展開も想定しているという。

「2020東京大会を通じて、日本の技術を世界に発信することは一つの目的です。『諸学の基礎は哲学にあり』を建学の精神とする東洋大学だからこそ、私たちはどのような哲学を持って『水走』を開発するのかということを大切にまず議論し、これまでプロジェクトを進めてきました。将来的には日本が東欧に次ぐ、第2のカヌーの産地になることを夢見ています。『水走』からバイオミメティクスを知り、カヌー競技に親しみを感じてもらうきっかけになればうれしいですね」と望月は笑みを浮かべる。

そして、窪田は「今後は、カヌーを通して海や河川の環境への啓蒙活動を展開するとともに、海や河川と共生する方法を創出し、技術革新を図っていきたいと思います」と展望を語った。

本プロジェクトは、東洋大学の生体医工学の分野・機械工学の分野から、人間工学・運動生理学・流体力学・バイオミメティクス(生物模倣技術)による大学の「知」及び産業界が有する「技術」を融合させた産学連携プロジェクトです.これにより初の競技用国産カヌーを製作し「東京オリンピック・パラリンピック」で日本人選手が使用し優勝を目指すため2017年5月からスタートしています。

望月 修 (理工学部 教授)

1982年北海道大学大学院工学研究科機械工学第二専攻博士後期課程修了。工学博士。名古屋工業大学、北海道大学での勤務を経て、2002年より東洋大学工学部機械工学科教授に。2009年より現職。著書に『オリンピックに勝つ物理学』(講談社)などがある。

窪田 佳寛 (理工学部 准教授)

博士(工学)。主な研究テーマは流体工学、バイオミメティクス。共著に『きづく! つながる!  機械工学』(朝倉書店)。