ショートヒストリー東洋大学
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「学館の義理」円了は新たな学校の構想を模索しながら、イギリスを中心にしたヨーロッパ各地、アメリカ、カナダを調査し、シアトルを一九〇三(明治三六)年七月一一日に出航して、二週間後の二七日に帰国した。八月三日から、円了は新聞『日本』のインタビューにこたえて、哲学館事件についてつぎのように語った。まず、出発の前の岡田長官との会談に触れて、そのときにはこのような大事件になると思っていなかったことを明らかにし、また前述のようなロンドンでの行動を説明した。そして、今回の事件は「天災にあらずして人災としてあきらめるよりほかなし」と、その心境を語りながら、事件に関する疑問を取り上げた。第一にあげたのは、第一科倫理科の卒業試験の延期のことである。予定された日程の数日前になって、文部省から突然中止を命じられたからである。文部省は書類上の不備を理由にし、認可から厳密に三年後でなければ適用できないと言ったのであるが、そうであれ94     

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