哲学館の学生たち結局、円了とミュアヘッドとの会談は、日程の調整がつかず実現しなかった。哲学館では、井上円了の「あらゆる方法を取って取り消しを復活するように」との指示を受けて、四月二〇日に「私立哲学館教育部卒業生の教員免許資格に関する嘆願」をもう一度提出した。しかし、文部省からは数か月が経っても何の連絡もなかった。哲学館を辞職した中島徳蔵は、マスコミでこの事件の不当性を訴える一方で、教員免許を取得できなかった卒業生のことを心配していた。三月一日、答案を書いた加藤三雄が自宅まで訪ねてきた。「静岡県の学校で募集があったが、免許がなければ」就職できないという、加藤の窮状を聞いていた。加藤は月末にも中島を訪ね、免許のいらない「小学校へ就職したい」と相談したが、中島は「そんなことは止めた方がよい、だいたい体裁が悪い」と答えている。加藤はこのころ日記に、「近ごろ日誌を書くことをおこたるようになった。頭痛は常に92
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