林は哲学館事件が国際問題になった場合に、日露戦争を控えた日本の外交のかなめである日英同盟に影響を与えることを懸念し、小村寿太郎外務大臣に対して公文書を送った。このなかで、文部省の哲学館への処置は、イギリス人にとって「いたずらに思想の自由を妨げ言論を束縛するもの」と受け取られ、また一般に読むことが許されている本が「一個の学校」では許可されないというのは不条理であり、干渉しすぎだというのがイギリス人の見方であり、そのために外交上の影響は少なくない、というようなことを日本に伝えてきた。七月、文部大臣名でミュアヘッドへの返書が送られた。この書簡では、ミュアヘッドの学説の是非を問題にしていないと弁明したが、政府としては、この事件が日英同盟に影響を与えないように、配慮しなければならなかった。一方、四月上旬にミュアヘッドからの書簡を受け取った円了は、早速面会を申し込んだ。それとともに、林公使を訪ねたが、林が「事件の原因は中島講師が視学官と抗論したからでしょう、そうでなければ取り消しというような処分は常識では考えられない」と言うと、円了はこれをはっきりと否定した。第三章 「哲学館事件」91
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