ショートヒストリー東洋大学
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日露戦争と日英同盟う」と聞いて、円了は方針の転換を考えた。イギリスでは、問題となった『倫理学』の著者ミュアヘッドも事件解決のために活動していた。バーミンガム大学の教授であったミュアヘッドは、自分の著書が原因で哲学館事件が起きたことを知り、二月四日と一一日付けの神戸発行の『ジャパン・クロニクル』紙に、真理に反するとして「弁妄書」(事理に合わない議論を、弁論をもって明らかにすること)を寄稿した。そして、この学説は欧米の学界で共通するものであり、東洋人にも必要であり、事件の原因として取り沙汰されている自説に対する誤解を解いて、正しく理解することを求めた。ミュアヘッドは欧州旅行中の円了や中島徳蔵に書簡を送り、さらにロンドンの日本公使館を訪ねて、林公使に解決の労をとるように依頼し、文書も提出した。林は、認可取り消しは常識では理解できないことだが、この件を国際事件として干渉するのは好ましくないといい、ミュアヘッドには円了と直接会うことを勧めた。90  

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