二月二二日の哲学館の幹事にあてた書簡は、その結果をこう伝えている。沢柳氏に面会しいろいろ懇話したところ、取り消し一状にまで進んだ内情は明らかになりました。ご予想のごとき湯本氏云々のことはまったく関係なく、学校の不運とあきらめる以外にありません。留守中の関係者が予想した「湯本氏云々」とは、京北中学校長代理の湯本武比古のことである。そして、この書簡で円了は、事件の真相がわかったと言っていたが、それは逝去するまで語られなかった。三月二五日、円了は知人にあてた私信のなかで、「今度の事件は人災としてあきらめた」と述べた。のちに、一八八九年の新校舎の倒壊を「風災」と呼び、一八九六年の校舎の全焼を「火災」と言い、今回の事件を「人災」であるとし、それらが発生した「一三日」を哲学館の「三大厄日」と言った。そして、沢柳から「自分個人としてはこの取り消し問題は不賛成」だが、「文部省の威信上ただちに今回の処置を取り消しにいたることはむずかしく」「たとえ認可が復活しても法令の規定がある以上、現在の学生までさかのぼって有効にすることはできないだろ第三章 「哲学館事件」89
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