沢柳のこの意見をもとに、円了は二月一日付けで哲学館の幹事に書簡を出して、緊急の対応を指示した。その書簡では「認可取り消しの一件は実に意外の沙汰にて驚き入り、哲学館火災以後の大不幸というより外なし」と述べた。そして、善後策として、今後の学生は検定試験を受験しなければならないので、その参考書を購入すること、文部省に対する方針として、表面には謹慎を表して処罰に随順し、裏面では文部省に関係する元勲や先輩に依頼して、同省から寛大な処置を得るようにすること、以上を当面の策とした。それから一週間後、哲学館の関係者への書簡では、事件の対応へ奔走していることに感謝し、「学校の迷惑はともかく、生徒の迷惑は実にそのままに見捨てがたく、これを救済するには認可の復活以外に道はない」と述べ、このような事件に巻き込まれ、館主として早く帰国しなければならないが、まだ遠路をかけて調査地に着いたばかりなので、予定どおりに取り調べを進めたい、と苦しい胸中をつづっている。認可の取り消しは円了にとって「意外なこと」であった。そのため、文部省の内部事情に詳しい沢柳に三度会って、その真相を聞いた。88
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