ショートヒストリー東洋大学
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認可取り消しは卒業生だけの問題ではなく、その影響は教育部第一科(修身・教育)と第二科(国語・漢文)の三学年、合わせて八三名の将来にかかわることであった。学校側はこれらの在校生を講堂に集めて、今後特典がなくなったことを告げ、進路については転校も可能であることを伝えた。当時の卒業生はその状況をこう語っている。われわれが入学した当時は同級生も相当多数いましたが、途中で例のミュアヘッドの倫理書問題のため、無試験検定資格が中止となり、その反動として学友の一部はお茶の水高師(東京高等師範学校、現・筑波大学)などへ転校しました。そのために約半数に減少しました。洋行中の円了が事件の発生を知ったのは、すでに無試験検定の認可取り消しがあって、中島徳蔵がマスコミを通して事件の真相を公表したあとである。円了は、日本を出発してから途中インドに立ち寄り、そしてロンドンに着いた一月二四日から、一週間ほどして事件の発生を知った。そのときのことをこう記している。明治三六年一月三〇日東京より飛報あり。曰く、一二月一三日官報をもって文部省より本館倫理科講師所用の教科書中に不都合の点ありとて、教員認可取り消しの命あり86  

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