ショートヒストリー東洋大学
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「不注意にあらず」の卒業試験に臨監した隈本繁吉も含まれていた。哲学館事件が発生したころ、この一大疑獄事件によって文部省は社会の厳しい批判にさらされ、文部大臣菊池大麓に対して第一八議会で問責案が可決され、一九〇三(明治三六)年七月に辞職させられた。したがって、このような時期に文部省がらみの二つの事件が相次いで起こったことから、哲学館事件は教科書疑獄事件に集まる世間の批判をそらすために、文部省が無理に引き起こしたものという考えが一部にあったほどである。哲学館事件に関するマスコミの報道が多数あったことはすでに述べたが、その主張は多岐にわたっている。内容面から分けると、つぎのようなものがあった。一、文部省の処分の仕方を問題にし、同省の私学排斥傾向を非難するもの二、文部省が哲学館を処分したことが学問の自由を犯したと非難するもの三、文部省の処置を正当とするもの四、哲学館が事件に対していっさいの行動や発言をしないことに対する非難84      

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