の投稿は一月二八日から三〇日にかけて『読売新聞』紙上に全文が発表され、また二八日には『時事新報』にその要約が掲載され、二九・三〇日には『東京日日新聞』『東京朝日新聞』に、さらに地方新聞、それに英字新聞とそれぞれの紙上に事件の概要が伝えられるにおよんで、哲学館事件は文部省がかかわった事件として、全国的な関心を呼び起こしていった。中島は哲学館事件について、その事実を明らかにするとともに、問題の視点を提起した。そのおもな論点はつぎのようなものであった。「倫理学の教科書の弑逆などの節を批評しないで教授するのは教師の不注意なのか」「学校は監督不行届きで重罰になるのか」「これからの卒業生に対する資格も取り消される必要があるのか」「文部省は日頃の巡視などせず、一度の卒業試験ではじめて臨監してその場で教師の不注意を発見したとて、直ちに認可の取り消しが断行できるのか」中島のこのような問題提起によって、マスコミによる論戦の幕は切って落とされた。78
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