事件までの経過一一月七日、哲学館は教育部第一科甲種生の卒業式を挙行した。この卒業証書授与式において中島は講演をおこない、そのなかでミュアヘッドの理論と応用に触れて、理論を応用する場合には部分的解釈にとどまらず、誤解が生じないように注意しなければならないと述べた。これにさきだって、井上円了も卒業生に対して教育家として活躍することを希望し、さらに西洋の学問を日本的国家的なものに応用する場合には注意するようにと告辞した。答案を書いた加藤三雄は、卒業生を代表して答辞を述べている。この式典から数日が経った一一月一〇日ごろ、円了、中島、京北中学校の湯本武比古の三名はさきの「卒業生に対して文部省は教員免許を与えないだろう」といううわさへの対応のため、文部省に出向いた。中島は視学官の隈本有尚に対して、ミュアヘッドの倫理学における動機論を説明し、皇統連綿たる日本においては、弑逆を認めるというようなことは決してありえないことを強第三章 「哲学館事件」73
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