の事柄によって仕立てられたと、現在の研究者は考えている。第一は、一部の漢学者などによる「陰謀」であった。当時の文部省は中学校の教育から漢学科を廃止しようとしていた。これを阻止しようとした漢学者たちが、ある新聞に載った二つの別々の記事から、「中島徳蔵が教育勅語撤回論者であり、文部省がこの中島を修身の起草委員にしていることは不敬(天皇に対する敬意を欠く)にあたる」というストーリーをねつ造して右派の新聞・雑誌でキャンペーンを展開し、中島徳蔵を文部省攻撃のための武器に仕立てたからである。結局、攻められた文部省は漢学科の廃止を取り消している。第二は、中島の私案を聞いた関係者の「密告」であった。起草委員であった中島は、小学校の修身教科書の場合、「智仁勇の三徳を中心として課題と教材を配当する」方が、教育勅語の解説よりも修身・道徳を理解しやすいという私案を持っていた。これは教授法上の配慮であった。ところが、中島がこの私案をある委員に話したところ、「修身は教育に関する勅語の旨趣にもとづく」という当時の忠実な方針に反するとして、文部省の関係者に密告されたという。こうしたことから、文部省は中島徳蔵をマークしていたと言われている。72
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