ショートヒストリー東洋大学
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五)年七月一四日である。そのときは修身科と国語漢文科だけであった。文部省からの通知には、追願した教育科の場合は、認可が遅れたために満三年が経過していないとの理由が記されていたので、哲学館はしかたなくこれに従った。一〇月二五日、延期された教育部第一科(教育倫理科)甲種生の卒業試験が開始された。試験の第一日目は、「シナ倫理学」「倫理学」の試験であった。会場は哲学館の図書館で、受験生は四名であり、視学官の隈本有尚、隈本繁吉、普通学務局第一課長の本間則忠らによる文部省の臨監のもとに実施された。倫理学の講師は中島徳蔵であった。試験終了後、集められた答案をみていた視学官の隈本有尚は、加藤三雄という学生の答案の解答の一つを注視した。出題は「動機善にして悪なる行為ありや」というもので、加藤の解答は教科書のミュアヘッドの例を書いたもので、講師の中島徳蔵はこの答えに最高点を付けていた。しかし、視学官はこの解答の「否いらずんば自由の為に弑し逆をなす者も」という部分に目をつけて、哲学館の講師にこう質問した。隈本視学官「ミュアヘッド氏の主義(学説)に批評を加えましたか」中島「講義している主義は、だいたい教師が学生に適していると認めた教科書ですかいぎやく68  な  

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