事件の発端この予告を出すにあたり、円了はその第一歩として新校地の取得に着手した。それが東京府豊多摩郡野方村大字江古田の通称・和田山(現在の東京都中野区松ヶ丘の哲学堂公園)の土地である。八月には売買契約を結んで新校地を購入した。これに続いて、円了は新たな教育の目的を探るために、一一月から欧米視察を計画した。それについてこう語っている。今度の視察は政教視察というのではなく、欧米の私立学校の盛んなる国へ行って、主として私立学校の組織、事務の整理法などをみるつもりでおります。私立学校の維持法については、大いに研究すべきものがあると感じています。目下の急務は社会の生命たる人物養成です。このように私立学校がその力を伸ばした時期に、哲学館はトップ・グループの一つとして念願の大学設置を目指していたが、そのときに「哲学館事件」が発生した。哲学館で無試験検定の特典を受ける第一回の卒業生が誕生したのは、一九〇二(明治三第三章 「哲学館事件」67
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