宗教家と教育家の養成設)、本科二年とし、学部を教育部と宗教部に分け、宗教家と教育家の養成を目的に、独直後からであった。その経過を、時間をさかのぼって追っておこう。哲学館は、一八九五(明治二八)年にはじめて入学試験制度を導入し、予科一年(翌年に開自の人間教育をおこなった。寺院に生まれ哲学館に学び、のちに評論家として活躍した高嶋米べ峰ほは、その教育をこう語っている。私は僧侶になる意志は毛頭なかったが、朝の勤行(仏前での読経・礼拝)をせずにご飯をいただくことが気持ち悪く、自分は敬虔な気持ちで、仏を礼し経を誦(となえる)していたのである。しかし、哲学館へ入学して、哲学の講義を聴くようになってから、すこぶる懐疑的になり、思想的には宗教存在の必然性がわからなくなっていた。宗教界で「哲学館流」と呼ばれたこの教育は、学生の慣習的な宗教関心を、独立して自分の力で宗教の意義を求めるものへと、「思想を錬磨するように」導いていったのである。 うい 60
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