に国学は国学院が、仏教学は仏教各宗の大学林があったためであるが、これに続いて、仏教専修科も四月八日に開講した。同年の四月から建設工事を開始した原町の新校舎は、三か月後の七月に完成した。そして、一〇月二日と三日の両日にかけて、新築落成式・開館式と記念講演会がおこなわれた。こうした日々の中で、八月二五日、明治天皇から恩お賜し金き三〇〇円が下か賜しされた。これをきっかけに、円了は「ピンチをチャンス」と考えて、学園の総合化という新たな教育構想をもった。すでに慶応義塾など、幼児教育から大学教育までの教育体制の総合化を進めているところがあった。円了はそういう方向を目指して、翌年三月に「尋常中学校設立旨趣」を発表した。そして一〇月の認可と同時に校舎の建設をはじめた。九九年二月二六日に、哲学館校地内に完成したのが「私立京北中学校」であった。四月に新学期がはじまると、円了は自ら京北中学校の教壇に立って教育をおこなった。『三太郎の日記』などで知られる哲学者で文芸評論家の阿部次郎は第一回卒業生である54 んん
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