一八九六年一二月一三日午後一〇時三〇分ごろ、本郷区駒込蓬莱町二八番地にあった哲学館の構内にあった郁文館(哲学館の講師・棚橋一郎が校長の中学校)の物置小屋が出火場所であったとみられている。その日は日曜日で休校日でもあったが、郁文館では大工が机・椅子などの修繕をしていたことから、そのときのタバコの不始末が原因ではないかと考えられた。夜半の火事は近くに交番がなかったために、消防への通報が遅れてしまった。恩人の寺田福寿の真浄寺の半鐘が打ち鳴らされ、近所の人々が駆けつけて、火がまだ物置小屋を吹き破ったばかりだったので、井戸から水をくんで消火につとめたが、火勢は強まるばかりで哲学館の校舎に燃え移った。学生たちはすでに寄宿舎で熟睡していたのでたたき起こされたが、そのときすでに、あたりは昼間のように明るくなっていたという。さらに寄宿舎にまで火は移り、学生たちはその前に身の回りの品を持ち出してはいたが、ただ呆然として学校が焼け落ちていくのをながめているしかなかった。約一時間後に鎮火したときには、郁文館の教室三棟に続いて、哲学館の教室(講堂)一52
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