「火災」信州各郡を巡回し、揮毫を切望する人が多く、すでに一〇〇余円の寄付が集まりましたことは有り難く仕合わせなことでございます。持参してまいりました二、三〇枚の揮毫はほとんどなくなりました。過日お願いしていたものと、新たに使いの者に持参させた用紙にも御揮毫をお願い申しあげます。海舟の書は渇望されていた。そのため偽書もあり、哲学館の広告に、寄付金の「領収証には伯爵勝海舟翁真筆の証明を付記」しなければならないほどであった。一八九六年の円了の巡講は四九日間と少なかったにもかかわらず、海舟の陰ながらの「筆奉公」という支援があって、この年だけで一三七五円の新築寄付金が集まり、大学設立への展望は現実のものとなっていった。ところが、大学への道を具体的に歩みはじめた一八九六(明治二九)年の年末に、隣接する郁文館からの出火があり、燃え上った火はやがて拡がり、哲学館の蓬莱町校舎は全焼してしまった。第二章 「日本主義の大学」51
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