ショートヒストリー東洋大学
49/326

村を巡回して、合わせて四四〇回の演説・講演をおこなった。そして哲学館では、各地に賛同者を勧誘する委員(募金依頼方)を三〇〇名以上おくなどして、寄付をお願いした。講演時の各地の反応から、募金への期待はふくらんだが、その成果は六七六円四〇銭にとどまった。創立時の新聞・雑誌の広告のみで、最終的に四〇〇名から三千数百円以上が寄せられたことと比べれば、円了の落胆は大きかった。内容をみると、予約が約一八九五円であっても、実際に納金された金額は約三分の一にあたる六七六円で、未納金が多かったためである。当時はこのような未納が多く、どこの私学でもその対応に困っていた。大口の寄付者は、五〇円以上が一名、一〇円以上が三名で、ほとんどが一円や五〇銭であった。円了は「当時自分は、なにぶん大学を出たばかりで、一向に世間の事情を知らぬから、ずいぶんボンヤリしたものであった」と言っているが、そうした自身を痛感させられ、さきの『哲学館専門科二十四年度報告』の題言に、「全国の有志諸君に泣請する」と書かざるを得ないような結果であった。海舟はそうした円了を見守り続けた。「海舟日記」の会談日を調べると、円了は巡講の第二章 「日本主義の大学」47    

元のページ  ../index.html#49

このブックを見る