金から出発した。その後、新校舎の建設に踏み切ったが、円了の移転式での演説によれば、新築・倒壊・再建という一連の費用は合わせて四千数百円に達し、この時点までに納入された寄付金はおよそ一五〇〇円であったから、三分の二が負債として残ったことになる。一八九〇年七月、円了は哲学館の窮状を勝海舟への手紙でこう書いている。哲学館も現今のところ、学校の維持法はまったく立っておりません。今秋より資金募集に着手することにしておりますが、その方法についていろいろ愚考しておりますけれども、別に良い手段も思い浮かびません。すでに、円了は四月、五月と二度にわたって海舟を訪ねていた。おそらく、この問題をどのように解決すべきか、その相談がおこなわれたものと考えられる。政府の「官高私低」の高等教育政策のなかで、その支援を期待できない私学にとって、授業料は運営資金の基本であり、それ以外の大規模な校舎の建設などの施設費は、寄付金に頼る以外に方法がなかった。この手紙には、慶応義塾や皇典講究所(現・国学院大学)などに下された恩賜金のことが記44
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