ショートヒストリー東洋大学
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一八八九(明治二二)年一一月一三日、駒込蓬莱町二八番地では哲学館移転式(新校舎落成開元老院議官・加藤弘之、文部次官・辻新次などのほか、博士と学士二三名、各宗高僧約一〇名、在学生二〇〇名が列席した。館主井上円了は「移転旨趣」と題して、欧米視察から学んだ日本の問題、そして「日本主義の大学」を組織して、学問の独立・国家の独立を期したいとする、哲学館の発展について述べた。一人おいて挨拶に立った加藤弘之は、哲学館の教育方針についてこう述べた。今、井上君が述べたこの学校が日本主義をとることはよいが、日本人にはとかく軽操の癖があって、いったん西洋がよいとなればそれに、今度は日本がよいと言われればそれに、反動的になる傾向がある。そもそも哲学とは理屈の学問である。日本、中国、インド、ヨーロッパ、アメリカなど東西古今の嫌いなくその学説を集め、しかる「自由討究」の精神館式)がおこなわれた。この移転式には、文部大臣・榎本武揚、東京府知事・高崎五六、第二章 「日本主義の大学」41   

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