世界旅行このような政教社の運動が社会の注目を集めはじめたころ、円了は欧米先進諸国の視察に出かけた。それはまだ哲学館の創立から一〇か月が経過した時点であり、『哲学館講義録』を刊行して一応の教育体制をつくったばかりであった。哲学館の留守は友人で講師の棚橋一郎に託して出発した。一八八八(明治二一)年六月九日、円了は横浜港からアメリカ船のゲーリック号に乗り、一六日間の太平洋横断の船旅を終えて、サンフランシスコに渡った。そして、ニューヨークから大西洋を越えてイギリス、フランス、ドイツ、オーストリアなどの欧米先進諸国の実況を視察した。帰路は、翌年五月一九日、フランスのマルセーユ港から日本へと向かい、エジプト、アラビア、インド、中国に寄港しながら、四〇日間をかけて帰国した。地球を一周したこの世界旅行はおよそ一年間におよんだが、これは日本を離れた円了が、世界から日本や哲学館のことを考える契機となった。34
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