政教社は、円了が経営する哲学書院で一八八七(明治二〇)年五月ごろに結成され、翌年四月に雑誌『日本人』を刊行して、当時の日本社会を啓蒙した。その立場は「国粋主義」あるいは「日本主義」と呼ばれた。政教社の活動は雑誌『日本人』を中心とする思想運動で、その活動をになった人々に二つの系統があり、その一方は東京大学出身者の三宅雄二郎、井上円了、辰巳小次郎、棚橋一郎、加賀秀一などで、彼らは哲学館の講師たちでもあった。もう一方は志賀重昂などの札幌農学校の出身者たちであった。政教社の社員は、いずれも高等教育をとおして西洋の近代的な知識を身につけた世代で、新しい国創りを提唱した。その主張は、明治中期の思想界を二分するほどの大きな運動として普及した。哲学館の教育には、こういう政教社の人々の考えが雰囲気として反映され、時代や社会の課題をになっていく傾向があった。のちにそれは哲学館の卒業生たちによって引き継がれて、明治時代を代表する「新仏教運動」となっていった。第二章 「日本主義の大学」33
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