者の内面にあった。既述のように、東洋大学の歴史は創立期の哲学館時代から災害や事件の連続である。戦後も危機的な状況が続いた。このことを、日本の近代史や高等教育史と合わせて考えると、多くの疑問が筆者のなかに広がって、確信をもって書くことができなかった。ところが、あるとき、イギリスのロックバンド・QUEENの音楽を聴いて、迷いがなくなった。「事実を事実として、あるがままに書く」ことが大切であると自覚して、それから急ピッチで書き上げることができた。前回の改訂では、現在の大学改革の起点となった塩川正十郎氏の理事長就任の経過を加筆し た。大学改革への道は、創立一〇〇周年前後に模索されていたが、その起点ができなかった。白山再開発という東洋大学にとって「世紀の大事業」の責任者を探していた。塩川氏との交渉は秘密裡に行われ、本文のように成功した。そのときの関係者のほとんどが故人となり、事実を知るのが筆者一人になってしまったので、歴史の一コマを書き加えることにした。かつて、飯島宗享氏は「歴史はそのつど現在が作る」と言われたが、東洋大学の改革はその通り進んでいる。今回は、佐藤厚・北田建二の両氏に校閲をお願いし、二〇二一(令和三)年までの歴史を加えた。井上円了哲学センター三浦節夫321
元のページ ../index.html#323