は徐々に悪化の傾向に傾き、平成に入ってもその経営はなかなか改善の方向へは進まず、また、校舎は老朽化により耐震基準を満たさなくなり、校舎の建て替えも喫緊の課題となっていた。学校法人東洋大学は、経営危機に陥っている井上円了が創った学校を放置できないと判断し、二〇一〇(平成二二)年八月、学校法人京北学園と翌年四月をもって合併することに合意し、井上円了の初等中等教育への思い、幼稚園から大学・大学院までの一貫教育への思いを引き継ぐこととした。この合併により、学校法人東洋大学は校舎の危険性を排除することを最優先課題とし、京北中学校・高等学校及び白山高等学校を、大学用地として確保した赤羽台キャンパスに仮移転させ、校舎の建て替えをおこなうこととした。この建て替えに当たって、京北各学校の教育環境を改善することと、大学施設を集約化することとした。まず、京北学園があった白山キャンパス隣接地(従来から学校法人東洋大学の所有地)に大学施設を建設するとともに白山キャンパスを再整備し、白山第二キャンパスから国際地域学部・研究科及び法科大学院を移転させ、その後、白山第二キャンパスを中学校・高等学校用に再開発し、二〇一五第九章 グローバルな大学をめざして301
元のページ ../index.html#303