京北学園の合併と白山キャンパスの再整備なった。この計画に基づき、法人は二〇一〇(平成二二)年八月、北区赤羽台に大学用地として約一万七〇〇〇平方メートルの土地を取得する計画を発表した。また、附属姫路高等学校から強い要望が出されていた中学校併設についても承認、姫路高等学校が創立五○周年を迎える二〇一三(平成二五)年に合わせて校舎を整備し、翌年に中学校を開設した。また、一方において、経営が悪化した学校法人京北学園を合併することとした。井上円了は、一八九九(明治三二)年に私立京北尋常中学校、一九〇五(明治三八)年には京北幼稚園を創設し、一貫教育を目指してきたが、小学校の設置はかなわなかった。その後、湯本武比古らにより、京北実業中学校が設置されるなどして、その時代の要請を受け止めながら中等教育の充実を図って来た。一九五一(昭和二六)年、京北各学校は東洋大学財団(現・学校法人東洋大学)から分離独立し、学校法人京北学園として運営されることとなった。しかし、昭和の終わり頃から経営300
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