「設置基準の大綱化」ある。東洋大学がこのようにして、新しい時代への歩みをはじめた一九九一(平成三)年に、文部省は大規模な大学の教育改革に乗り出した。いわゆる「設置基準の大綱化」である。すでに述べたが、敗戦直後の新制大学の制度は占領政策によって開始され、その後に大学設置基準を設定して、大学のあり方を維持してきた。それから四〇年以上の歳月を経て、日本の高等教育は高い進学率にみられるように成熟した。そして、社会は工業化社会をめざしていた段階を経て、新たな高度情報化社会へと展開してきたが、この間に文部省による抜本的な改革はおこなわれなかった。そのために、新たな大学教育が必要であるという声は、すでに多くのところからあがっていた。それまで文部省は、全国の多数の大学のあり方を、設置基準という一つの尺度で統一・規制してきた。社会が大学にそれぞれの個性を求めても、基本に授業などの教育内容を決めた規制があって、独自のカリキュラムを組めば基準違反とみなされた。そのため、意志第八章 大学改革への出発277
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