ショートヒストリー東洋大学
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なかった。時間が過ぎていった。ある夜、高木は一年前の一〇〇周年の式典で見かけた文部大臣の塩川正十郎のことを思い出した。塩川家は円了と同じ東本願寺教団の織田信長時代からの門徒であった。当時、高木は教団の宗務顧問のような役割を担っていた。そこで、高木は時代にふさわしい指導者を求めて、教団の首脳陣に「塩川氏を理事長として招聘したい」と相談したところ、協力の快諾を得た。塩川と高木の面談の用意は教団関係者がセットしてくれた。場所は赤坂プリンスホテルの旧館の「清話会」であった。高木は「大学改革」と「白山再開発」について説明して理事長への就任をお願いしたが、塩川はじっと下を見つめて無言であった。予定の時間が大幅にすぎて、塩川は最後に「私にも相談したい人がいます」とだけ言って、面談は終了した。高木はその言葉を理解できなかった。後日判明したところでは、相談したい人とは、塩川の師匠である福田赳夫元総理大臣であった。福田は「塩川君、大学の一つぐらい面倒をみてやれよ」といって、塩川の理事長への道を拓いた。塩川の内意が固まったところで、高木は交渉の舞台から去り、あとのこ第八章 大学改革への出発273   

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