創立一〇〇周年ワン」などの流行語にみられたように、ふたたび世界経済の主役としての立場をになうようになっていたが、一方で、教育界では校内暴力やいじめの問題があり、偏差値教育の弊害が問題になっていた。このように、いわゆる戦後の社会構造が生み出すひずみが、諸問題の形をとって少しずつ表面化しつつあった。しかし、時代の全体は、「国際化」「情報化」「多様化」「個性化」などのキーワードに象徴されるように、世界と日本の関係、日本の全体と個の関係など、激しく変動を求める社会へと転換していた。こうしたなかで、東洋大学は社会や時代の変化をどのように受け止め、どの方向へと進むべきか、それを模索していたが、その動向は緩慢であった。関係者の努力はあっても、問題を解決するきっかけがつかめないままに、一九八七(昭和六二)年の創立一〇〇周年を迎えなければならなかった。創立一〇〇周年を迎えるための準備は、およそ一〇年前からはじめられていた。その方264
元のページ ../index.html#266