計画の動向の変化、すなわち、都の構想では都心・副都心を中心とする整備に変化があること、また郊外に移転した大学の実績が必ずしも私立大学としてのイメージの向上に役立っていないことがあげられた。そして、第二に、全国から志願者が集まる「全国大学」には、都心から三〇キロメートルを出ないという「大学圏」があり、全学部を統一して同一キャンパスにすることは理論的には正しいが、このような大学圏から考えると、移転は東京都心で学習できる大学のイメージを失って、「東洋大学をいっそう特徴のない『地方大学』に転落させるおそれがある」と考えられた。また、第三に、「私立大学は『創立』の場所が重要である」とし、以上の三点から東京以外への全学移転の見直しが提言された。この年、新たな学長・理事・評議員が選出され、さきの移転見直しの提言によって、新理事会に課せられた最大の問題は、白山五学部の統一キャンパスを追求するのか、現有の三キャンパスの有効利用にもとづく長期計画を立案するのかという決断であった。新理事長は、一九八二(昭和五七)年八月に新校地移転を断念し、三校地の有効利用をは第八章 大学改革への出発261
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