統一キャンパスの断念〇〇周年の一九八七年として諸計画の立案をはかること」などを決めた。土地・施設部会も「各学部が統一して、同一キャンパスを使用する」ことを基本とし、都内の白山、埼玉県の朝霞と川越の三キャンパスを結ぶことを基線として、新たな候補地を求めることに合意した。統一キャンパスを求める動きは、一九八一(昭和五六)年からはじまった。まず、埼玉県比企郡滑川村(東武東上線森林公園駅下車)が候補地となったが、視察では都内の出発地である池袋から六〇分以上かかるという時間的距離が問題となり、さらに複数の地域を検討することになった。そして、翌年には、埼玉県川越市下広谷、同古谷、入間郡鶴ヶ島町、比企郡鳩山町、富士見市上南畑などが候補地としてあげられた。だが、学長提案などから、「校地選定を根本的に考え直す」ことが要請された。その理由として、第一に、「大学移転を必要とする外部的条件の変化」を指摘し、国・都の総合260
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