ショートヒストリー東洋大学
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満ま之しなどの東本願寺の留学生という円了の後輩たちであった。年(下級)で自然科学を含む広い科目を教え、第三年(上級)では哲学諸科の専門を教授す二名が東京大学の卒業生であること。第二点は、年齢が若かったことで、館主の円了は二九歳であり、教員のほとんどが二〇代と三〇代である。最高齢の岡本監輔は、円了が予備門時代に教えを受けた先生であったが、それでも四八歳である。哲学館の創立に協力した講師・評議員は、円了を中心とした二つのグループから構成されていて、一つは哲学会のメンバーを含む東京大学の卒業生たちであり、もう一つが清沢創立時の哲学館の教育は、開設の趣旨で述べたように、東京大学の哲学科をモデルにし、幅広い教養(人文・社会・自然の諸科学)の科目を設け、その上に専門科目を置くという、高等教育にふさわしいものであった。東京府知事に出された「哲学館設置願」によれば、普通科と高等科(上・下級)の二つの学科があり、それぞれ一年と二年の課程に分かれ、とりあえず普通科のみでも哲学の大意が知られるようにし、さらにすすんだ高等科では第二るというものであった。哲学館では速成を旨とし、日本語で教育する方法をとり、テキストに翻訳本を使わず、24   ん

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