ショートヒストリー東洋大学
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は沈静と再燃を繰り返した。この期間に、大学改革への取り組みがなされ、学校法人東洋大学の寄附行為は大幅に改正され、これによって一九七三(昭和四八)年には、はじめての学長選挙が実施された。だが、他大学に比べて長期化した紛争は大きな傷跡を残した。大学の歴史からみて、紛争が白山校地に集中してその対応に追われることが多かったため、川越校地に設置した工学部や附属高校などを含めた総合大学としての、さまざまな経験を積まなければならない大切な時期を逸することになった。長期にわたる紛争によって、器物の破損や人間の損傷などもあったが、目に見えない不信の広がりによって、人間関係など多くのものが失われた。教員・学生・職員・校友・保護者など、大学関係者は深い挫折を経験し、大学像までも喪失した。そして、そのなかから、ふたたび「大学とはなにか」という根本的な問題を問わなければならなかった。それは、モデルのない道程として、新たな大学像を創造する出発点でもあった。256   

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