ショートヒストリー東洋大学
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その準備は進められたが、朝霞の土地の買収の進展ははかばかしくなく、さらに約二万三〇〇〇坪の土地が開発不可能な市街化調整区域であることが明らかになり、この開発行為の適用を受けるために、埼玉県との交渉をおこなわなければならなかった。県との交渉も難航し、一九七四年度の開講のための校舎の建築が不可能になった。一方では、朝霞移転と学費値上げの反対運動が起こり、他方では交渉が暗礁に乗り上げた。しかし、私立学校振興助成法の適用の前提である学生定員の変更の申請は、一九七五年九月末までに提出して認可を得なければならず、暫定措置として、予定地に隣接する市街化区域を新たに購入し、ここに一九七五年三月までに校舎を建設する方針をとった。この市街化区域の約一五〇〇坪の交渉は進んだが、その過程においてこの土地が朝霞市埋蔵文化財指定地区であることが判明し、理事会では土地選定と買収の責任問題をめぐって激しい議論がおこなわれた。こうした紆余曲折を経て、一九七六年一月にこの土地の買収がようやく決定された。このように朝霞移転計画の実施は大幅に遅れたが、一九七六(昭和五一)年三月に学生定員の変更は受理された。254    

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