ショートヒストリー東洋大学
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朝霞校地の誕生式(一~三年は三月実施)が繰り返された。一九七五(昭和五〇)年に「私立学校振興助成法」ができることになり、私立大学への本格的な経常経費の助成がおこなわれることになったが、東洋大学がこの法令の適用を受けるためには、学生定員の変更が認可されなければならず、またその前提として、経営学部設置以来の懸案であった中心校地の不足問題の早期解決が求められた。校地不足に対応する考え方は二つあった。第一は白山五学部のうち四学部を朝霞に移行して、朝霞を中心校地とし川越を第二校地とするもの、第二は文部省との話し合いが必要であったが、白山に専門課程のみを置き、朝霞には一・二年次(教養課程)をおき、白山と朝霞を合わせて中心校地とし川越を第二校地とするものであった。一九七四年度の朝霞校地での開講は、日本私学振興財団による国庫助成金の実現のためにも緊急課題となり、さきの二つの考え方のうち、白山五学部の新入生(第一年次)の授業を朝霞校地で実施することに決定した。第七章 大学の「大衆化」253   

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